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頑張るための動力が欲しい

目標でもなんでもいいから頑張れるカラダにしてほしい。

 

 

何かを始めると、すぐ飽きてしまったり長続きしないのがぼくの性分なんだろうな。自分の耐性とか趣向とかいろいろと合致して、自分にとって苦じゃなければ続けられる気がする。たとえばゲームだったり、漫画だったり、っていうごく平凡な遊び。

たとえば勉強でも、ゲーム・クイズ感覚で解けるようにすれば楽しくなる。って話をよくされるけど、突き詰めれば勉学であってそれはぼくにとっては使役になり、意志とはかけ離れているのである。勉強をしなければいけないからするのであって、特に成功報酬はいらない、身につかなくても全然かまわない、ってつもりで勉強をすることはなかったから、やはり心のどこかでは強制労働に近い感覚が消えずに残っていて、それが三日坊主に繋がったんだと思う。

なぜ勉強をしたいと思えないのか。すっごくありふれた、そこらへんの鼻水垂らした憎たらしいガキんちょみたいな答えなんだけど、「必要と思わないから。」これに尽きる。でも、こんなことを言うと、勉強信者の人は何かしら結び付けてくるんだ。そういうことを言ってるんじゃないんだ。そりゃ何かしら物事は互いに結びついているし、勉強だってその例外じゃあない。何かしら現実社会における役割を軽くすることもあるだろう。けれど、それがぼくの生活には有っても無くてもどちらでもいいものであることが非常に多いのだ。算数なんかは進んでやることができた。なぜなら、実生活でお金の計算が必要だったし、ぼく自身計算が好きだったから。しかし数学になり微分積分なんかをやるころになれば「いつ使うの?」ってのが先行してしまって、やる気が起きないのである。ぼくが将来学者になって、人類の普遍的感性の一つを数学で証明するとなれば微分積分は序の口として使うかもしれないけれど、ぼくはそんな人じゃないし、どうせ死ぬまでクソみたいな人生を送るわけだから、必要じゃないんだよきっと。ぼくの歪んだ感性では不必要と分別された勉強をもっと手軽に楽しんでやれる方法があったらいいのに、って思っていたなあ・・・。

頑張ろう、と思う度に何かしら理由をつけてやってきた。それが永遠の自分の中の活力源として働いてくれればそれでいいんだけど、すぐもういいやってなってしまってそのままなし崩しに事を終えてしまう。いつも終わってから後悔するんだからもう少し踏ん張りをきかせればいいのにと思うのだけれど、僕はその時だけを見てて、その一瞬が楽であればそれでいいと思う「その場限りの逃げ」をしてしまうのだ。

それを打ち消す大きな目標や揺るがない決心や背水の陣的な追い詰められた環境が欲しい。自分はゆとり社会の中で明らかにゆとり人間になってしまっている。なんとかなるだろうと高をくくり、結果が目に見えるころに焦り、帳尻があわなくなる、完全に自己破産型人間であろう。これまでの人生をやってきて、たぶんこの性分は治る気配はないし、たぶん治らない。そんな自分に頑張るための無限動力が欲しい。そう思うのであった。(おしまい)

 

全然まとまりねえし、内容もクソみたいでごめんなさい、久しぶりの記事なので許してください(甘え)