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性格は言葉で作られる

ぼくはどうやら人に優しくすることが好きなのに、優しくされるのが嫌いらしい。

 

なんていうか、ウザイ奴だなぼく。優しくしといてされるの嫌ってなんだよ慈愛の象徴にでも成り上がったつもりか!自惚れんな!キモすぎ!

 

高校の友人と、他人に言うことをためらうような黒歴史みたいな惨めな話を暴露しあってたら、自分が歪んで成長してきたことを思い知らされた。

ぼくはいじめられてたわけじゃないけど、小学生のころから不細工をからかわれていた。面白いブサイク的な立ち位置で、ブサイクだから人権を与えられてない、とかそういうのじゃなかった。だから別にブサイクで困ったことはせいぜいモテないことくらいで友達もいたし、特になかった。それから時が経って僕の中に潜在意識として、自分はブサイクっていう意識がこべりついて離れなくなってしまっていることに気付いた。トラウマとは違うのだけれど、自分はブサイクだということを誰から何を言われても曲げることなく、揺るぐことない事実として受け止めてしまった。

それが今になってめんどくさい。異性と話していてもことあるたびに自分はブサイクだからと、恋に発展しそうでしなかったりと、ある種晩生になってしまっている。相手に好意を抱かれてもブサイクだからそんなはずはない、何かあるはずだと相手の気持ちを踏みにじることを考えてしまう。

そう考えると、習慣として身についてしまったものは良くも悪くも自分を変えてしまうのだと思った。ぼくは自分でも顔が整った方ではないと自覚していたけど、一目見て「こいつはくせぇ!ブサイクのにおいがプンプンするぜぇ~!」ってほどじゃなかった(はず)である。

こういう自己弁護の文章を打つと客観性が失われてしまうからイマイチ信憑性に欠けるのを自分で取り繕うのがめんどくさい。

ブサイクをあまり言われなくなっても、やっぱりブサイク意識は抜けなくて、カッコイイと言われたら社交辞令としか思わなくなった。いったい何がブサイクなのかという疑問に答えはいくつか出せるけれどいったい何がイケメンなのかという疑問に答えることはできないのである。本当に自分に自信が持てなくなった。そうなってくると、ブサイクとぼくを罵った幼き日の彼らに怒りがわいてくる。はぁ・・・。

このブサイクの一件により、ぼくは被害妄想が強くなったんだと思う。相手の行動すべてに裏があるように思えて、ぼくが額面通りに受け取れば、陰で素直に受け取ったことに対する陰口をたたかれてたりするようにも思える。本当の親切と社交辞令の区別がつかず、すべて社交辞令として受け取ってきたぼくは失礼極まりないし、馬鹿だと思う。

 

人に優しくするのは親譲りのものだ。母親とぼくはすごく似ている。おせっかいと言われればそれまでだが、母親は何かと気が利く優しい人だった。怒るにも怒りきれず、最後にはいつも許してしまうそんな人だ。

ぼくも心底憎いと思う人がいても、本人に冷酷非道なことはできないし、無視とかそういうのを継続できない。絶対に許さないと思っても、一晩過ごせばケロッとしてるような馬鹿なのだ。誰かの期待に応えたい、困ってる人を放っておけない。本当にそうなのだから仕方がないのだけど、偽善と言われても止めることはできない。

ぼくはよく暴言を吐かれる。同じことをしているぼくともう一人がいても僕の方が目につく。いいことと悪いことの印象が0:10のようだ。悪いことをしていなくても悪いことに見える。そんな風な損な印象を受けさせるようだ。ぼくはおかげで学校生活における教師との関係はゴミみたいだったし、なのにぼくは仕事を率先してやるような雑草みたいな根性してて、それが嫌ってる先生方からすれば余計腹が立つだろう。でもぼくは誰かがやらなければならなかったら、ぼくがやろう、そう考えてしまうのである。

ここまで話すとなんだか自分を悲劇の主人公に見立てて、自分の自慢話みたいに聞こえるのだが実際そうだから仕方がないと開き直っておこう。

冗談やジョークを嘘つきといわれ、率先や積極的を偽善と呼ばれる。そんな人間嫌われなのである。

いったい何がそうさせるのか。そればかりはぼくにもわからない。皆なぜか好きになれない人がいるだろう。何がそうさせるのかはわからないけどとりあえず嫌悪感と忌避感はある、そんな知り合いはいないだろうか。たぶんぼくはそれなんだろうな。

 

こんなぼくとかかわりを持ち続けてくれた人、「相談してよ」僕に優しく心配かけてくれた人、そういう人たちに心から感謝を申し上げたい。

ぼくはこんな歪んだ人間ですがどうかこれからもよろしくお願いします。

 

他人への口のきき方ってのは気を付けた方がいいと改めて思う。その人がどう思うかだけでなく、周りがどう思うか、内輪だけでなく世間体にあてはめて考えてみてほしい。人は交流して学習する生物だ。あなたの口のきき方ひとつで良くも悪くもなるんだ。性格ってのはもともとできあがってるものではなく、誰かとかかわりを持つうえで形成されていくもの。口に出してしまえば、取り返しはつかない。現代人は「死ね」や「殺す」など軽々しく口にする。意味は無くても相手が意味を持つ受け取り方をすれば、言葉は活きるのである。言葉の使い方、一から見直してみるのも悪くはないかもしれないな。