自分を肯定したい

誰かのために自分を肯定したい。

 

 

自分を肯定することってすっごく難しい。ぼくはいつも自分のふがいなさを悔いているし、周りに迷惑をかける馬鹿さ加減泣きたくなる。

自分を肯定することの何が難しいかって、自分の短所もひっくるめて「ぼくはすばらしい」って思わなければならないことだろう。

自分の事認めてくれる人がいるだろうか。その人たちはぼくのことを肯定してくれている。そういった人たちを肯定するためにも僕は自分を肯定しなくてはならない、そんな風に思うのである。

今までたくさん失敗もしてきたけれど、そんなぼくでも認めてくれる人がいる。愛してくれる人だっているだろう。こんなぼくだからこそ認めてくれたのかもしれない。そう考えると自分はおいこのままじゃいけないと思うようになった。ぼくなりに頑張ってみることしかできないけど、まず周りの評価を素直に信じてみるのがいいと思うんだ。馬鹿にされてもいい、正直な馬鹿で構わない、正直を馬鹿にするやつこそ馬鹿だと思う。誰かが真剣に向き合っていることを馬鹿にするやつは大した人間じゃない、僕はそう思う。そんな馬鹿のために、自分の姿勢を崩すことが一番馬鹿だと思う。僕を信じてくれる人たちのためにぼくは馬鹿にならなきゃいけないと思うんだ。

胸張って僕は僕だって言ってやりたい。自分が一つの個を持った存在であることに自信を持ちたい。

 

「百人の死は 悲劇だが、百万人の死は統計だ。(アイヒマン)」

ユダヤ人大虐殺の責任者、アドルフ・アイヒマンはこう言葉を残した。

この言葉の何が怖いかって、百万人の一人一人に個がないのだ。彼らは数字でしかなく、人としての個性や尊厳は持ち合わせていない。そういって死んでいった彼らがかわいそうで仕方がない。個がないのは人間ではない気がする。明確な理由がなくても直感でそう思わざるを得ないのだ。僕の生まれてきた時代は空気が汚くても戦争がなくなった世界だ。僕たちには僕たちが作った僕たちのみに通ずるルールがあってそのおかげで一人の個として生きていくことができる。ぼくは自分が自分であることを証明するためにも誰かから受けた愛を肯定するためにも、自分を肯定していきたい。(おしまい)