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高校生クイズのネットでの批判

高校生クイズの全国大会が放映されて、twitterとかで、いろいろと言われてたことについて話す。

 

 

高校生クイズが去年から原点回帰ということで、「知力」「体力」「運」の3拍子に戻り、2012年までの知の甲子園スタイルは消滅した。それは初代もとい本家「アメリカ横断ウルトラクイズ」を知っている世代や視聴者からすれば、本来に戻っただけなんだろうけど、参加者である現代の高校生にしてみれば、知の甲子園時代がドンピシャでそれ以外は高校生クイズとして認められないのだろう。ネットでは開成灘ラサールなどの東大京大附属高校と化した超名門が決勝で高校生レベルをはるかに凌駕した、クイズや雑学という蘊蓄ではなく、秀才としてのテッペンを決める大会が良かったとの声が多数上がっていた。高校生クイズの歴史と変遷を見てみれば、知の甲子園時代はほんのわずかな一小節に過ぎず、幾度と一新してきたわけで、ここまで批判が上がるのは怖い。

なぜここまでヒートアップしてるのかと言えば、批判を言う世代が固まっていること。twitterユーザーの偏りがまるで大衆思想のような印象を受けるほどに膨れ上がっている。2年前までを神格化するような流れまで形成され、当時の問題がいかに難しくて面白みがあったかというマーケティングまで。twitterに飲み込まれてしまう人が少なからずいることと思う。懐古主義であろうか、クイズの質の高低差が生んだのか、とにかく現段階ではただのクレーマー気質に成り下がってる感じが否めない。

自分たちのころは・・・と押し付ける老害に近いものを感じる。突然の変化に戸惑っているだけであと数年もすれば、今のやり方が当たり前になって、今年ほどの過熱は亡くなると思うんだが、果たしてどうだろうか。

 

それに加えて、これはTVショーである以上仕方のないことなのだが、屋代高校ばかりピックアップされて仙台第二や船橋が空気だった時間帯が存在したり、勝ち負け関係なしに屋代の時間が多すぎたり、スタジオでも取り上げられなかったり、と顔、雰囲気で格差が生じたことが物議を醸していた。そこまでならまだ仕方なしだけど、終着点として、屋代高校の偏差値が低いとか、出場者が特に何か反感を買ったのではないのに、矛先が向かっていたのが気になる。腑に落ちないナニカをどこかにぶつけないと収まりがつかないのか、一触即発の高校生を中心とした視聴者が多かった。

急に書きたくなったことでうまくまとめられてないし、まとめるほどの時間をかける内容ではないと思うのだけど・・・。

TVプログラムとして、しっかりと視聴者が納得できる構成演出を局はすべきだと実感した。そうでないと、他の誰かが怪我をするから。

新しいものがたとえ下方置換であってもそれを受け入れる寛容さ、現代の若者に欠如している部分ではないか、と危惧する事案であった。