対人恐怖なら心理学を学べばいいのか

人が怖くなって信じられなくなったら、心理学でも学べば幾分かマシになるのだろうかという話。

 

 

面白いほどよくわかる!心理学の本

面白いほどよくわかる!心理学の本

 

 

あぁ、他人が怖い。社交辞令という文化が根付いたこの世界、相手の本心がわからなくて自分への評価がどうなっているのか気になって仕方がない。まだ若かった頃なら、社会に(大人に)希望を抱いていた時代ならば、そこまでではないし、どんな評価されているんだろう?くらいだったんだけど、ぼくは時間とともに意識過剰になってしまってる。

人間の深層心理を見るものとしての、心理学はとても興味深いものがある。ぼくは心理学なんてかじったことがないし素人でしかないから、よくドラマや小説なんかで用いられている犯罪心理学とか統計学がどこまで日常に現実的に応用できるのか全く見当がつかないんだけど、それを差し引いても心理学ってものを学んでみたい感はある。コールドリーディングとかと同じで”行動に伴う深層心理”が自意識で勝手に合致しているだけで、場合分けできているとは限らない。

たとえば文末の「。」の書き方や途切れ方でナルシストやネガティブとかわかるらしいんだけど、自分の中で、自分をどう思っているのかってのが強く影響していて、ナルシストの傾向があると判断した条件を勝手に思い出して、自分はナルシスト傾向があるからこの心理学、もとい心理学全体を確証あるものだと勘違いしている場合だってある。

 

コールド・リーディング―人の心を一瞬でつかむ技術

コールド・リーディング―人の心を一瞬でつかむ技術

 

 

この例はコールドリーディングに酷似していると思う。コールドリーディングが知らない人はお粗末なリンクでwikiにでも飛んでくれればいい。そんなわけで、心理学の絶対性というものは第三者の素人のぼくからみたら判断できないんだけど、人の本音が知りたくて知りたくて日々鬱積している対人恐怖の自意識過剰野郎だから藁にもすがる思いで頼りたくなった。

何も心理学の専門家になりたいわけじゃないから、かじるだけでいいんだ。それが嘘かどうか判断するくらいの程度のものでいい。でも、そうやってかじるだけなら自分の都合よく解釈しているエセでしかなくなってしまうのかもしれないのが怖い。利点だけに目がくらんで心理学の使い方を間違えてしまうのが一番怖い。

人の隠している本質が見えてしまうのはつらいことになるかもしれない。見たくて見るならいいけど、心理学を学び日常で使うことになるのであれば、しぐさを見れば反射的に心理を理解してしまうんだろうなあ。わかりすぎるのもつらいことだと思う。そういう点も含めて、心理学者たちを尊敬しよう。心理学に系統されるまでの脳科学も尊敬しよう。

少しでも人生を生きやすくできるならやってみたいな、軽い気持ちで考えている今日もバカなある意味平穏な毎日を過ごしています。呑気だなあぼく・・・。(おしまい)