多面性は前進なのか

ぼくの頭の中を表すためには考え方だけではいけないのかもしれない。

考えたことは忘れる前に記しておきたい

 

 ぼくはこの「がんばれなんて言えない」を自らの人間関係などの上に立つキャラクターを排除しないと言えない事柄を言うためのブログとして書き記している。SNSやら友達の前で長ったらしく自分は哲学についてどう考えているかなんていうのはあまりにも野暮で空気の読めない人間になってしまう。けれど、言いたい。言うための場所がほしかった。言わないと、ぼくの頭の中から転げ落ちてしまいそうで、それが怖かった。人間は妥協する生物だ。きっと、時がたてば自分に都合のいい理由を付けてそれを否定したり、もしくは記憶から消し去ってしまっているかもしれない。理由があって行動が発生するんじゃない。行動があってそれに後付けで理由ができる。人間ってのはそういう生き物なんだと思う。ぼくもその限りではあるが、考え方が生まれたことに罪はない。後で振り返って自分の価値観の変遷についてみていくのもそんなに悪いもんじゃないだろう。

僕の価値観を測ってもらうモノサシ

 

では、なにが僕の価値観を形成しているのか。だれしも自分の見聞が価値観につながる。僕の場合は音楽や漫画、小説の類が一番影響力が強い。サブカルチャーに興味は尽きないありふれた人間に過ぎず、影響されては流されて、を繰り返すから日々ベクトルは変わっている気がする。そんなぼくの価値観を共有するとともに、自分が出会えてよかったものは発信していきたい。世の中にはモノがあふれかえっていて、一つ一つ確認作業を繰り返していては、人生何年あっても足りない。「いいものはいい、悪いものは悪い。」ぼくの中で選別して、良し悪しとともに発信していければそれがぼくへの共感の一助となり、ぼくの目的の達成にもつながる。

自分にしかできない発信をしていきたい

 

人より、マンガも読むし音楽も聞くと自負している。ぼくの周りの小さな世界でしか通用していない自負かもしれないけど・・・。ぼくが出会えたものを発信することでぼくが満足できる。これではいつの間にかただの日記とすり替わっていくような気がしてしまう。今日は何を食べて、どこに行きました。なんていうのはだれも興味がないだろう。小学生の作文みたいなブログには絶対したくない。このブログを読むことで何かしら得ることができる、それはブロガーが何を食べて何をしたか、なんていう芸能人にしか需要のないことではなくて、考え方やモノに出会える記事、そんなブログにしていきたいと思うのです。

 

だから、これから手に入れた本や音楽をレビューというにはおこがましいが発信していきたいと思う。ただ、何を購入する予定か、とか、何を購入した、とかその程度の薄い内容かもしれないけど、許容してもらいたい。自分で見限ることがあるかもしれないから、そのときはお知らせするし、それ専用のブログを立ち上げる時だと思うから、リンクも張ると思う。どうか方向性に理解頼みます。(おしまい)