台湾研修を終えての雑記

台湾に研修旅行に行く機会があって、そこでいろいろと自分の中でのグローバル的な価値観の転換期が訪れた、そんな気がした。

 

日本人の外国語能力の低さは著しく、台湾の人たちは基本的にバイリンガル以上であるから、僕たち日本人からしてみたらすごく驚いてしまうけれど、世界から見たら大したことではないってことに直面するとあまりにも生々しくて、台湾の人のどれにも勝てない気がした。

世界が広がるって決まり文句は本当だった

自分がどれだけ狭い世界で生きているのかってのを突き付けられた。日本から出る必要なんて今まで感じたことなかったけど、それは間違っていたのかもしれない。ずっと家で小さく縮こまって死にたいとか生きていくのがめんどくさいとか希死念慮に打ち込んでいた自分が今ではどこかに行ってしまったようだ。それはあくまで一過性のものなのかもしれないけど。今のぼくにとって、やりたいことが一気に間欠泉のようにいろいろなところからあふれ出してきて、それらの一つ一つをふさいでいくのがすごく難しい。どれから手を出せばいいのかわからない。

台湾の現地のサポーターとして日本語学科等で日本語の勉強をしてきた日本で換算すれば高校生~大人までの世代間ギャップさえ発生しているような多種多様の台湾人と接して、本当に刺激になった。

興味を互いに持たなくちゃならない

彼らの日本への関心や興味がぼくたちのそれとは大きくかけ離れていた。日本人が外国に興味を持つことっていうのは大抵アメリカとかヨーロッパとか先進国だったり芸能人だったりアイドルだったりなんていうか大衆文化のようなものばかりで、それも便利すぎる技術のおかげで語学を習得しなくても情報は流れてくるし、興味の対象がどうしても情報量の差で偏ってしまっている現状がある。

台湾ならば、流れてくる情報は台北がほとんどを占めているし、さらに下の知名度の国なんて日本人のほとんどが情報に触れることさえないことだって多い。アラビア諸国からロシア近辺の国のことを日本人はどれだけ知っているだろうか?日本語しかしゃべれない僕たちがそれらの国とかかわりあうための共通言語はジェスチャーしかないのかもしれない。

逆に日本やアメリカ、イギリスなど世界から見ても知名度や注目度が高い国については世界中から関心がもたれて、言語や文化に対して理解しようとたくさんの人が学習に日夜励んでいるという。興味の対象でありながらその逆が日本人にはない。人気者だからと胡坐をかいていいわけではないと思うし、毎回受動的だというのにも問題がある気がする。

世界に発信しているアニメなどの独自の文化に対して発信方法はあくまで日本語ばかりで周りの今日も関心を抱いている有志によって外国語に翻訳されていることが多くて、もっと自分たちに向けられている愛情の先に私たち日本人は向き合っていかなければならないのではないだろうか。

日本という国を知ってもらうための日本からのアプローチがすごく偏っている気がする。目に見える形で実行されていることが少ない。水面下で行われていることがたくさんあるっていうことは自分も今回経験して十分理解できたのだけど。やはり地球家族(We are the World)的な意味合いでもっと相互理解を深めていくべきだと思うのだ。一方的な理解しかないようでは日本はダメな気がする。一斉に国民の意識を変えるということはできないと思うから一人ひとりできる人からやっていく、現状を超えることは中々に難しいと思うけど、その小さなアクションに動かされた人たちは後を追って自分も発信していける人材になっていくべきだと感じた。

今回ぼくもその一人であり、台湾語もとい中国語について勉強して自分の感情をしっかりとダイレクトに伝えられるようになってもっと日本という国をしってもらいたいと思った次第だ。

台湾人の温かさ

台湾の人が日本の人に台湾がどのような国であるかってことをすごく熱心に教えようと頑張ってくれたりそれに至るまでの予習だったり、研修中の町の人の温かさだったり、日本とはまた違った風土の良さがあったりと、同じような顔をしていて土地も近いのだけど、全然違っているということに少し泣きそうになったり感動したりした。

何を言っているのかはわからないけど、言葉が通じなくても優しくしようとしてくれていることはわかった。日本で同じような状況があるだろうか、と考えてもたぶん台湾ほど能動的に当たり前に接してくることはないと思う。身振り手振りで教えてくれるその姿勢がすごく印象的でわざわざ面倒だろうに関わってくれるのは国民性なのかもしれない。

国際交流を企画したくなった

国際交流のための職業ってすごく魅力的だなとも感じた。自分の国を知ってもらいたいって意欲のためには膨大な歴史的文化的背景の知識も学んでおかなければならないし、言語だって習得しなくてはならない。やらなくてはならないことはたくさんあるけどそれがそのまま生かせるわかりやすい仕事でもあると思った。日本と外国の架け橋になることが出来たらそれは大きな貢献になるはず。

国を好きになる、というよりは、その国の人を好きになる、って言葉がうまい表現かもしれない。

心配する相手ができたことは次につながる

震災復興がこの企画には重大な位置を占めていて、震災の支援に感謝とかそういった内容を前面に押し出していたのだけど、終わってみたらたぶんそれだけじゃない。

台湾の人たちと仲良くなれて、そこから今後の活動に生かせるはずだと思った。震災の感謝っていっても何をすればいいのか?感謝したら終わりなのか?内容が全部震災関連で持つのか?とかいろいろな疑問があって、感謝のためにわざわざ現地に赴く必要があるのか?なんて思ってしまったりもしたのだけど、十分意味はあった

今後台湾もしくは日本で何かしら不幸なことがあった時に、ぼくたちはまず今回の仲間のことを頭に浮かべるだろう。心配もするし、支援もしたくなる。国という大きな単位で心配するのは難しいけど、人を心配するなら誰だってすることだろう。大事な人の身を心配することは簡単で、想いも強い。今後台湾で何かしら大きなニュースがあって日本に情報が入ってきたときぼくは今までだったら何の感情も発生することはなかったと思うけど、今ならたぶん耳を傾けることになると思う。

結果的に互いを理解することにつながって、今後につながる研修になったんだと思う。

帰国してからどうするかが大事

日本に帰ってきてもいつまでも台湾のことで頭がいっぱいで、最初のテンションと大きくかけ離れている自分に驚きつつ、行ってよかったと満足している。中国語の勉強にも熱が入るし、今度台湾のお世話になった人たちに日本語ではなく中国語で会話ができるようになりたいとモチベーションも上がった。

台湾にいるときはスケジュールがびっしりと詰め込んであって、ただ予定をこなしているだけで何かを考える必要がなかった。日本に帰ってみるとそういうわけにはいかない。自分で何をするかっていうのを選んでいかなければならない。学校に在学しているときはただ授業をこなしているだけでいいように、台湾には自分たちで何か考えて行動する必要がなかったから楽しかったのかもしれない。急に現実に戻されて本当に気怠さがある。モノの見方が変わって今までの自分では思いつかなかった思考回路になっていたり、それを修正していくのがまた面倒臭いけど、乗り越えなくてはいけない壁でもある。

日本から出てもっといろいろなところを見たいと強く感じることができて、今後の人生設計に海外が何かしら組み込まれていくと思う。

色々と自分の中で変わった台湾研修、本当によかった。ありがとうございました。がんばります。一緒に研修旅行に行ったみなさんもぜひ頑張ってください。

「本当のつながりはこれから」ですから。

ダラダラとまとまりのない文章ですが最後まで読んでいただきありがとうございました。(おしまい)