手話を覚えたくなるー「聲の形」

漫画の説明というより、ぼくの手話に対する雑記です。

 

 

聲の形(1)

聲の形(1)

 

 聾唖(耳の聞こえないこと)の少女と、いじめっ子だった少年の成長の物語。

題材が題材なだけに、展開の仕方によっては非難轟轟となっても不思議ではない作品だが、この聲の形はうまくまとめられている。障害に対する批判的な感情を読者に与えないようにできている気がする。

この漫画がすごい!オトコ編第1位に今年ランクインしたし、あらすじも何も知らずに読んでみてほしいから、ここであえてあらすじは紹介しない。初めて読んだ時の衝撃はすさまじいものがあった。絶対この漫画が今年の漫画タイトルを総なめにする、しなければならないと思った。最近、無事完結もしたし、一気読みしてもらいたい。1巻がすごく惨い展開で読んでいて鬱になるのだけど、そこはぐっとこらえて2巻を読み終えて最後まで読むか決めてもらいたい。2巻を読み終えることが出来たら、もうあとは7巻全部あっという間だと思うから。

ぼくは母がたまたま手話ができるということで手話について関心興味は人よりあった。手話を学ぶことで、言葉の通じない人ともコミュニケーションが取れる、困っている耳の聞こえない人を助けることができる、などと自分の新たな可能性が拓けるような気がして楽しくて仕方がなかった。

この漫画がヒットしたことで聾唖に対する理解が深まったり、関心が発生したりしてくれればいいと心から思っている。

 

手話はジェスチャーのような感覚に近いけど、世界共通語として手話は存在していない。中国には中国手話があるし、アメリカにはアメリカ手話がある。日本の中にだって、方言のように手話にも独自性があったりする。いったいなぜなんだろうか?

やはり、言語というものが発生するときにその土地で発達することに似ていて、手話も環境によって違ってくるからだという。現在世界でいろいろな言葉が話されているのと同じようにいろいろな手話が話されているのだ。

手話を私たち日本人が今から学ぶことになると、結局日本人としての手話、つまりは日本式手話であり、日本以外では通用しないのがつらい現実だ。しかしながら、ジェスチャーが世界の共通言語であるように、似ている手話も多数あって、断片的に単語を拾って理解することもできる場合もあるそうだ。

日本語で手話を学ぶとなると、文法構造が日本語のそれになり、英語圏で手話を学ぶと文法構造が英語のそれになる。日本人が英語を学ぶときを思い出してもらうとわかりやすいはず。そういうわけで、手話の順序も違ってくる。沢山の国の聾唖者と話したければそれだけ多種の手話を覚える必要があって、現実的に考えて初心者には難しいと思う。まずは母語の手話について理解を深めてほしい。聾唖者って割と街中にいるし、気づかなかっただけで当たり前に生活している。手話を使う機会なんてないから覚えなくていい、ではなく、使う機会があった時のために覚えておいてほしいのです。

 

作中の登場人物たちが手話を覚えていく過程なんかも第三者目線で追っていくと、自分もその輪に入りたい、覚えたいと思えるはず。ぼくなんか久しぶりに手話をもっと学びたいと思ったくらいだ。

「聲の形」は主人公・石田将也の視点で描かれているから、主人公が気付かなかったことには作中でも大きく触れることはない。作中で触れられないが、事は起こっていることを頭に入れておいてほしい。本人は気付いていないけど、小さな変化が起きていることに気付けたときまた違った見方ができるので、面白さは膨らんでいく。作中では聾唖者がどのように世界が見えているかなどの描写も描かれていたりして、新鮮だと思う。先天性聾唖者にとっての当たり前の世界が私たちと如何に違うかってことに驚くかもしれない。感動したり、感心したり、1度読んだら終わり、ではなくて何度読んでも面白い作品になっていると思う。

手話がもっとポピュラーな第2、第3言語として普及することを祈り、締めとしたい。(おしまい)