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PrayForParisに関する雑記

ぼくがPrayForParisに思うモヤモヤを形にしたいと思う。

 

Pray For Paris

Pray For Paris

 

 

 

悲劇というものは突然やってくるものであり、一瞬で何もかもが変わってしまうものでもある。起きてみたら世間はその話題でごった返していて、いったい何があったんだ?と時代錯誤するかの如く取り残された感覚になってしまう。

インターネット上では、どこを見ても、PrayForParis、PrayForParis。すごい悲しみに包まれていることなんだって理解はしてるし痛ましいとも思う。だけど、ここまで大々的に一色に染まることがなんだか気色が悪い。

 

Facebookの期間限定アイコンが嫌い

Facebookでも期間限定でトリコロールカラーのフレームをつけてPrayForParisの意思表示をするオプションが誕生したけれど、ぼくはそれが嫌いで、皆が揃いも揃ってトリコロールのアイコンになっていることに違和感を覚える。

なぜ違和感を感じるのかと言われれば、明確な答えを簡潔に述べることはできないけれど、一つ確信に近い理由がある。それはパリだけが悲惨な状況になっているわけではないということ。世界は未だかつてない平和な世界が実現したわけではないし、現在もどこかで必ず紛争は行われていて、毎日数えきれないほどの人が死んでいる。延々と続く戦争はいつからか当たり前の光景になっていて、誰も気にしなくなっているといっても過言ではない。ずっとテロや紛争が発生していなかったのであれば、たくさんの国の人が哀悼の意を表明して、許せない、がんばれ、などの声援を送ることも極めて自然なことなのかもしれないけど、パリがテロで襲撃される前も今も中東諸国などでは戦争は続いている。死傷者だって今回のテロよりも断然中東諸国の方が多い。そのことに触れないで、先進国にのみ注目されるということがなんだか悲しい。まぁ、ことあるたびに「こっちの方が悲惨なんだから、こっちの方が優先的に哀悼されるべきだ」なんて理論展開されたら、それはそれでなんだかおかしい話ではあるのだけど・・・。

ついでに言うと、Facebook公式が期間限定のキャンペーンとしてアイコンをトリコロールカラーに出来ますよっていう提示がズルい。安全と祈りを込めて、なんて触れ書きがあるから余計ズルい。なにがズルいって、このトリコロールカラーのアイコンにしてない人は血の通ってないように見えてしまうこと。パリなんてどうでもいいよ、と思っていても皆がトリコロールカラーに染まっていく中で自分だけ染まらないのはまるで非国民のようなレッテルを貼られてる気分。目に見える形でそれが実行されるということが、良くも悪くもあるって再確認させられた。

LGBTが大きく話題になった時もレインボーカラーに期間限定のオプション提示されていたけど、その時は「生き方について選択肢は沢山あっていい」という意思表示で間に合ったと思うし、過半数がレインボーカラーになっていたとは思えない。人の死、哀しみが絡んでるだけあって一筋縄ではいかないところが声を大にして文句を言えないモヤモヤにも繋がるんだと思う。トリコロール批判とまではいかないけど、ちょっと待ってこの仕様どうなの、って思うことが既に冷血みたいな風に捉えられかねないことは表現の自由を奪われているような気がしないでもない。このモヤモヤは拭えないのだろうか。

11/19追記: 似たような感想を抱いてる人がネット上に見られたのでURLを。さすが評論家、文章が上手い、自分の稚拙さを感じざるを得ない。

http://bylines.news.yahoo.co.jp/furuyatsunehira/20151115-00051478/

情報は先進国間でのみ共有される

先進国だからマスメディアや情報伝達が発達していて、共有も発信も上位だということは分かっているつもりだけど、なぜこんなにも皆が口をそろえて話題にしているのに、発展途上国の凄惨な事実には触れないというのか。情報発信をする側、つまりはPrayForParisと言っている側っていうのは皆携帯電話などが普及していて満足な暮らしをしている先進国の人間でしかない。先進国において非日常であるから、痛ましい出来事と認識してエールを送る。この光景が、まるで発展途上国について認知していないかのように錯覚できてしまうことが何より怖い。発展途上国の現状に興味がない、考える必要がない、頭から抜け落ちているのではないかと思うほどにパリでのテロが前代未聞、空前絶後のようにデカデカと書かれているのが南北格差のような生々しさがあって怖い。

 

流行の一環みたいな感覚の人が怖い

先述のFacebookのアイコンにも通じることだけど、「隣の人がPrayForParisと言っているから私もこの流行に乗ってPrayForParisと言っておこう。」みたいなノリがうっすらと感じるのも少し怖い。「誰かのために声援を送っている私ってカッコイイ/カワイイ」みたいな自己陶酔がメインで、私もPrayForParisって思ってるよ!っていう意思表示が最終到達地点みたいな感じ、もうわけわかんない。

そういう人たちの中にPrayForParisではなく、PlayForParisってLとRを誤字してる人結構な数居て、馬鹿丸出しというか、日本人教養無えな、って思われるの本当に恥ずかしいからやめてほしい。

 

今後テロがどこでも実現可能という恐怖 

先進国でここまで大規模なテロが行われるということは、大きな可能性を孕んでいるとも考えられる。フランス・パリであの規模が実現可能ということは現在のニホンやアメリカでも同様のテロがいつ起こっても不思議ではないということ。ハロウィンの渋谷のごみ問題などで、東京はゴミ箱が先進他国に比べて異常に少ないのは地下鉄サリン事件など以降テロ対策の一環として行われているという話がコラムになっていて、その時はテロなんて今更・・・みたいな薄ら笑いの反応だったのが今では笑えなくなってきてる。何よりイスラム過激派のISがからんでいるというのが余計にたちが悪い。最近話題にならず沈下してきたと思い始めた矢先にこれだもの。ISに対する危険性は増す一方で各国ともども、気が気でないと思う。

捨て身の覚悟をもってすれば、どこでもテロなんて簡単にできてしまう気もするけど、だからといって対策をしないというのは論外だし、実現しうる最大限の可能性の排除は義務ともいえる。今後のテロ対策も注目すべき事項の一つだと思う。

 

中身のある声援を心掛けてほしい 

この混乱に乗じて、なぜか日本も震災で大勢の人が亡くなったみたいなデマが海外で流れてて、もう情報の真偽とかは確かめる必要はなくて、とりあえず悲しみが発生しているものには同情や応援しておけばいいや、みたいな風に見えてしまうのは僕だけだろうか。なんていうか、SNSの発達で多くの人が意思表示できる場所や機会が増えたけれど、その分SNSなどがなければ意思表示する場所さえ持たなかった人たちの中身のない意思表示が増えたような気もして一概に良いものとは言えないと感じる。

ただ、どんな形であれ、声援のおかげで元気になる人は少なからずいるわけで、ぼくたちも東日本大震災の時には海外からの声援に励まされたりもしたし、よくわかる。だからこそ一つ一つの声援がしっかりとしたものであればいいと思うのです。惨事を自らの為に使うことは許されないと思うし、声援は当事者にのみ送るものだと僕は思います。苦しいこともあるだろうけど、がんばって再起してほしい。PrayForParis!(おしまい)