「死ね」がノミネートされる時代
流行語ってなんだっけ?
・アスリートファースト
・新しい判断
・歩きスマホ
・EU離脱
・AI
・神ってる
・くまモン頑張れ絵
・ゲス不倫
・斎藤さんだぞ
・ジカ熱
・SMAP解散
・聖地巡礼
・センテンススプリング
・タカマツペア
・都民ファースト
・トランプ現象
・びっくりぽん
・文春砲
・PPAP
・保育園落ちた日本死ね
・(僕の)アモーレ
・ポケモンGO
・マイナス金利
・民泊
・盛り土
・レガシー
みなさん、何を感じますか?この候補一覧をみて。
新語・流行語という割に流行っているような感じがしない言葉が多く見受けられる。ネットから発信された言葉に至っては一周も二周も遅れているような、メディアとネットの温度差が窺える候補もいくつかある。PPAPとかポケモンGOとかそういった世間を風靡したものならわかるんだけど、盛り土とかレガシーって別に流行語としてじゃなくても使うことあるじゃん...って感じだし、そもそもこの程度が流行語大賞候補ノミネートされてしまうのかよ、今年なにも無かったかぁって感じ。
「文春砲」とか「保育園落ちた日本死ね」とかはどう考えても流行語大賞取っちゃいけない。負の遺産を後世に残していきたい、みたいな原発関連の事じゃあるまいし、なんでこんな言葉がノミネートされているのか不思議でたまらない。日本死ね、って…。日本人だよ僕達。自分の国を指して蔑視してたりする言葉をノミネートしようとする選考委員の神経もおかしい。なんでこの言葉選んだんだよって感じだし、そもそも待機児童問題は都心で著しい問題になってるだけで郊外や田舎では無縁の話。つまり内輪の話であって、関心がない人の方が多いような話題なのに、それを日本国民全員の流行語として扱おうとしてる時点でなんかいろいろとオカシイ。
日本死ねを選んで、何が楽しいんだろうか。こういう冒涜のような話題ならば、最近で言えば、宮崎駿と川上量生の人工知能発表会における説教の内容が頭に浮かんでくるけど、「こういう言葉で商売にしよう、注目を浴びよう」って魂胆がムカツク。宮崎駿監督、ドワンゴ川上量生会長を一喝「生命に対する侮辱」
それも選考委員って複数名いるのにそれのどこにおいてもストップがかからないってことは、やはり組織全体として腐っているということだし、変革を余儀なくされても仕方ないことだと思う。個人的には俵万智ややくみつるが選考委員であるのに、この言葉を通してしまっているのが悲しい。
昼時のニュースを見ることがないから日本死ねが流行った経緯を、ぼくはあまり知らないのだけど、どうやら待機児童の母親の書いた匿名ブログが出自らしい。母親が"死ね"と言っている風景をぼくは今まで自分の家庭で見たことがない。そういった言葉を使わないようにしてたみたいだし、家族の誰かがその類の言葉を発すれば必ず注意をしていた。母親という模範となる存在になり、自分の言葉づかいも気にするようになったらしい。そういった家庭で育つことができたことは僕の誇りの一つです、ありがとうお母さん。ゆとり世代とか言って最近の若年層は頭のネジが緩い人たちが一定数いるけど(最近に限った話ではないのだけど)、お母さんが死ねって言ってる光景は絶対に見たくないよ、生活と習慣は密接にかかわっているし、難しいかもしれないけど「死ね」って言葉が頭に浮かばないような自己矯正を心がけてほしい。何か嫌なことがあった時に、「死ね」という言葉を選ばないでほしい。「死ね」という他ないのだ…なんていうのはテイのいい言い訳にしかならないと思うし、この言葉に悲痛さや遣る瀬無さが在ってこの言葉以外に表現方法が見当たらないなんていうのは流石に無理があると思う。誰に見られてるとか匿名だからとかそういうの関係なく自分の使う言葉は選んでほしい。
自分が生まれたころには「死ね」という言葉を日常的に聞くことも少なかったけど、最近至る所で「死ね」という言葉が耳に入ってくる。これもまた時代なのか、と思うと悲しいけれど「母親」が発する言葉としては極めて異常ではないだろうか。それを面白おかしく取り上げているメディアも時代の雰囲気に汚されているし「死ね」が形骸化して浸透している現代に嫌悪感を覚える。
時事ネタとしての流行語が決まるのは歓迎するけど「保育園落ちた死ね」は違う、絶対に。こんなものがある程度地位を獲得しているオフィシャルなものから発信されるなんて絶対に許されない。ユーキャンの選考委員会は謝罪してほしい。軽率すぎる。これがノミネートされた時代背景って余りにも酷い。待機児童ではダメなのかな。ふざけんな。ぼくは怒り狂ってます。流行語にノミネートされていること自体に憤りを感じてるし、即刻削除してくれないかな、本当に胸くそ悪い。ぼくはこれからも「死ね」という言葉には敏感に反応していくし、自分は使わないように邁進していく所存です。(おしまい)
2016/12/5 追記
各方面でやっぱり炎上しているみたいですね。選考委員やそれにかかわった人の言葉を一部抜粋してここでも少しお話をします。
「人格攻撃でもなく、あくまでも比喩としての『死ね』と、具体的な他者や人格を貶めるために使う『死ね』は全然違うよ。しかも、他にどうしようもなく、そうするしかない悲痛な叫びとしての『日本死ね』でしょ」 ー 古市和寿(社会学者)
悲痛な叫びとしての「死ね」は理解を示すことができるけどさ、それを国民的に流行語としてノミネートするのは場違いじゃないか?って思う。比喩としての「死ね」だってことをどれだけの人間が理解できているのか、そして今後歴史に名を刻んでその背景までも知ることができる後世の人々がどれだけいるのか。誤解を生む言葉なのだから、その背景までも各々が調べて知っておくべきだ、というのは傲慢すぎる気がする。
選考委員を務めているやくみつる氏(57)は12月5日、「羽鳥慎一モーニングショー」(テレビ朝日)に電話出演。自身も「日本死ね」には「嫌悪感を示した方」だったと明かしながらも、流行語を選ぶ際には「過激」「穏当」といった事柄は「何の尺度にもならない」とした。
ははは。なんか笑えてきた。流行語としての価値を求めても、それに付随してくるものが「日本死ね」にはなにも無いでしょ。この言葉で待機児童に焦点が当たったからそれだけで価値があるって?そんなの偏った見方でしかないよ。暗黙の了解というか、誰かが不快感を感じるような言葉をわざわざノミネートする必要性がない。現場の声が市民権を得たと喜ぶ母親はいるのだろうか。これで待機児童に苦しんでいる人の代弁になると思う人はどれだけいるのだろうか。違った方向性に正論を振りかざされてしまうと、もうどうしようもないんだと途方に暮れる。
つるの剛士がtwitterにおいて反対派であることを言ったら、攻撃されて炎上されたのも悲しい。どれだけの人間が実名を伴って彼に文句を言えるのだろうか。匿名だから本音が言えるとか言われても、結局名前を冠付けたら声を大にして賛成を示すことはできないのであれば表舞台である流行語にノミネートされるのは場違いではないのだろうか。ネット新語大賞の方だったら百歩譲って問題ないのだけどね…。