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点が線に変わるースポーツにおける上達とは

点と点がつながる感覚

 

点と線

点と線

 

 

 ぼくはバスケットボールを小学生のころから現在に至るまで生涯スポーツとして続けているのだけど、いかんせん運動神経が悪くて下手の横好きとなっている。

長年続けているとなんとなくではあるが上級者の境地に達することがあって、点と点がつながるような感覚になる。基礎練習と基礎練習が自然とあるべき場所に落ち着く。意識より先に身体が動く。そういった感覚を感じたときに興奮を覚える。自分の練習は無駄ではなかったのだと。

何を以って上級者と呼ぶのか。たとえばバスケットボールにおいて重大な構成要素は主に3つ。パス、ドリブル、シュート。これらのどれかが秀でていたなら、それは上級者と呼べるのだろうか。たとえすべてのシュートを決めるような天才的シューターがいたとして、その一芸に秀でている部分を抽出して上級者とぼくは呼ぶことがあるのか。どんなにシュートが上手でも(所詮それだけじゃないか)とどこか下に見てしまう人がぼくの中には一定数いる。それはどこで線引きされているのか、うまく言語化できなかったのだけど最近になって少しわかってきた気がする。

先述の点と点が繋がる感覚というものが大事で、動作と動作の繋ぎ目が無駄なく完了されることが大切なんだと思う。点が線に変わる瞬間がある。洗練された動きはやはり一朝一夕では身につかない。すぐに身に付く人はセンスのある人だから初心者の枠にいつまでも囚われず階段を二段飛ばしで駆け上がっていくだろう。センスがあると感じさせられるのもきっと同じだ。動作と動作の繋ぎが初心者らしくなくスムーズだからそう感じさせられる。バスケに限らず、どのスポーツにおいても同時にこなさなければいけない動作が多く、それらを余裕持って同時に出来るからこそ上手くなっていくもの。シュートの練習もフリースローの練習をするのではなく、誰かのパスからシュートだったり、ドリブルからのシュートだったり、っていう練習の方がはるかに効率的なのもその為だ。何を以って技術が上達するかっていうのを自覚していないと成長はしないもので、ぼくの運動神経が悪いのもこういった事が無意識に自覚できていなかったからだと思う。言語化する必要はないけれど、運動神経が良い人はこれが理解できているんだろう。

(シュート上手なのに、なんでぼくは彼の事を上手いと思えないのだろうか)とずっと不思議だったのだけど、多分こういうことだと思う。自分が上手くいかないときに原因を考えているときにこれが浮かんできた。ぼくは無意識にこれらのことをできるほど器用ではないけれど、上手くいかないときにはどこが線になりきれていないのか、というアプローチで反省をすることができる。大きな収穫になったと思う。(おしまい)