読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

センスとは知識である

努力を肯定するための言葉があってもいいよね

 

センスは知識からはじまる

センスは知識からはじまる

 

 twitterでこんなツイートを見た。

 

センスとは一体何か。天性のもので、埋められないどうしようもない部分。そんな風に考えてはいないだろうか?

自分が努力をしたことに対して「センスがいいから呑み込みが早い」とか言われることがあって、努力を肯定してもらえないことに悲しみといら立ちを感じる。自分の努力を生まれ持ったものだとして無かったことにされる。ハイスペックなポテンシャル高い人間に見せたければ願ったり叶ったりではあるが、ぼくは自分が今まで積み上げてきたもの自体を評価してもらいたかったりする。

どんなことを言っても結局は勝者の意見であって、センスが作用していると思われてしまうようで、この話には落とし所の見つからないモヤモヤを感じていたのだけど、このつぶやきはすごく腑に落ちる。センスが発生する背景を考える。センスは培ったものから導き出される直感であるから、努力や経験に裏付けられたものであると。

センスという言葉が何を指すかってのは人それぞれであると思うし、一概には言えないけれど、この見方を全否定する必要はないはず。自戒としての意味合いを強く含んだ言葉としてとらえれば良い。本質を突いているか、真理であるか、ってことはこの手の言葉ってどうでもいい些細なことだと切に思う。

「いやいや、センスは知識じゃ埋められない部分だからw」とか「自然状態で発生するものは知識関係ないですよね?w」とか自分の定義しか認められない頭が固すぎる人間によるマジレス(クソリプ?)は気にする必要ない。自分がどう思うか、その言葉を自分の中にどう溶け込ませることができるか、が大事。そういう定義付けだって自分の中で受け入れられるかどうかって感覚のものだし、たぶんマジレスしてる人もこの文章は理解できるはずだと思うんですけど、これもマジレスで何か言われたら面倒なのであまり深く言及しないでおこう。

センスがないから諦めたり、センスがあることに羨望を感じる、そんな弱い自分を律する言葉になってくれる捉え方って素晴らしい。埋められないものではないのだから、自分も頑張らなくちゃいけないなって奮起させられる言葉になる。そんな考え方ってセンスの話に限らず素敵だなって琴線に触れるんだけど、みなさんはどうですか?

努力しない言い訳を作らないってすごく大事だと思う。出来ないやらないを作らない環境は作りづらい、さぼりたい諦めたいって足を止めそうになるとき、背中を押してくれる言葉は幾らあっても多すぎることは無いし、ぼくがぼくを応援してくれることになる。

センスと知識についての関係に言及している本が丁度たまたまあったので冒頭にリンクを貼っておいた。もっと詳しいことはこの本を読んでもらいたい。

センスが知識によるものという確信はぼくの知識欲を向上させる。センスをよくするためにも知識量を増やしていきたい。他人の見方も自分の弱さも変えることができるこの考え方はすごく好きです。皆さんもぜひ参考にしてみてください。きっと思い当たる節があると思います。思い当たらない方は参考にしなくていいので自分の理屈を誰かに押し付けることだけはやめてくださいよろしくお願いします。(おしまい)

 

追記 呟いてた方も似たようなこと言ってました、二番煎じでごめんなさい。