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自分を愛し、他人を愛する ー「ムーンライト」感想

自分が何者かを探し、自分を愛することが出来た時、初めて誰かを愛することが出来る。

 

ムーンライト

ムーンライト

 

 

 

はじめに

本年度アカデミー作品賞を受賞したムーンライトを上映初日に見てきた。ぼくはそこまで映画狂いではないから細かな描写とかが理解できなくて、凄く難しい映画だと思った。一日経って色々なことを考えた。自分なりに答えが出た部分もあれば、未だわからない部分もあって、それらを整理したいのと、読んでくれた人に答えを助言してもらいたいの二つから、記事に文章を綴ることにした。映画評論が出来るかどうかわからないけど、おつきあい願いたい。ネタバレありなので、っていうか、ネタバレありきの記事なのでネタバレNGの方は映画見終わった後にまたおいでくださいませ。

あと、ぼくは色覚障害を持っているので、色の濃淡の区別がつかなくて、色の使い方については語ることが出来ないので、そういった類のものを期待している人には申し訳ないけど話せないのではじめに謝っておきます。ごめんなさい。

 

 

ぼくの感じた疑問

 この映画、黒人がテーマの一つになってるから、ぼくに理解できなかったのか、わからないけど、凄く疑問が残ることが多かった。とりあえず疑問を列挙していく。

 

シャロンはなぜいじめられているのか?

ー黒人ばかりなのに、なぜシャロンがいじめられているのか。人種差別に関連することを話す描写もあったけれど、いじめる側も黒人なわけで、黒人だからいじめられているわけではなさそう。ゲイだから? それならいつゲイってみんなにばれたんだ?ゲイかどうかなんて幼少期にわかる機会もないと思うのだけど。ただ内気だからいじめられているのかな?それにゲイが加わってエスカレートしたのか?

 

シャロンの愛称はなぜブラックなのか?

シャロン以外も全員黒人なのに、なぜブラックと呼ばれるのか。たしかにシャロンは黒人の中でも肌が特に濃く見えたけど、そういうことなのかな。それとも黒人が登場しているけれど、その他大勢の黒人は全員人種的に白人設定なのか?まさかそんなわけないよね。

 

ロッカールームでケヴィンと彼の友達が自分のペニスの大きさを比べあう描写は必要だったのか?

ー LGBTQをテーマにしている映画でわざとらしいこのシーンは何を意味したのかわからなかった。シーンが終わったらすぐに暗転して、あってもなくても良いシーンに思えた。何か特別に必要な理由があったのかな。

 

シャロンがいじめられている理由である「歩き方」とは何か?

ー フアンとシャロン母が口論になったとき、シャロンがいじめられている理由を言えるか?とシャロン母はフアンに尋ね、シャロンの歩き方について触れていた。歩き方について違和感を覚えなかったんだけど、いったいどういう意味だったんだろう。

 

フアンはなぜ死んだ?

ー フアンはなぜ死んだんだろうか。それについて言及してほしかった。

でも、これはシャロンの成長の物語であって、彼の心の内側に寄り添って観る映画なんだろうし、フアンの死は説明しないのが当然なのかもしれない。本人に見えてるように見せる。本人が当たり前に認識しているものをわざわざ説明したりしない。そういうやり方なのかもしれない。

 

ケヴィンはバイセクシャルなのか?

ー ケヴィンがバイセクシャルなのかどうか。シャロンを慰めるためにキスをしたのだろうか。女の子とファックして、お仕置きを食らっていたし、ゲイではなさそうだった。そして、ラストでシャロンを受け入れることは彼の望んでいることなのか。別れた妻がいて、子供がいて、それでもなおシャロンを受け入れるということは慈善や罪滅ぼしだったりしないのかな。親友だから、とか、あの時流されて殴ってしまったから、とか。

 

なぜNBA選手に似ている役者ばかりなのか?

ー 少年期のシャロンクリス・ボッシュ、ケヴィンはカイリー・アービング、青年期のシャロンはケビン・デュラント、ケヴィンはデリック・ローズ。なんでこんなにNBA選手に似ている人がメインキャストになるんだろう?

 

パッと思いつくだけでもこれだけは疑問が残った。とりあえずおいといて、ぼくなりにこの映画について語ろうと思う。

そもそもアカデミー賞って僕の中であまり評価してない。誰かが良いといっただけなのに、その作品を万人がいいといったような錯覚を受けるから。アカデミー賞に限らず、この世の中の全ての映画祭が好きじゃない。好きとか嫌いとか関係なく、映画祭の評価に振り回されている自分自身が嫌いだから、映画祭を批判しているわけじゃない。結局のところ、料理でも映画でも何でも誰かの評価を鵜呑みにしてはいけないと思うし、自分で判断しなくてはいけないから何にせよ一度は経験しなくてはならないと強く感じる

(映画ではなくその枠組みについてだったので小文字で。)

 

 

表現について

フィルムワーク的に、僕が気になったことを話す。物語の中で、周りのピントが合わなくなるシーンがいくつか存在する。

 

完全に人以外にピントが合わなくなるシーンは3つ。

幼少期:シャロンとケヴィンが親友であることがはっきり明示される取っ組み合いのシーン。

少年期:テレサの家から帰ってきて、母親が自分に優しく語りかけた後、麻薬を買うためのお金を奪い取るシーン。

青年期:ケヴィンの働いているレストランに到着して入店するシーン。

 

これらは全部物語の核であり、一本の大きなあらすじを表すシーン群だと思う。

この物語はシャロンを中心として、親友のケヴィンと麻薬中毒育児放棄の母親が大きくかかわってくる。シャロンの心情にかかわる重要なシーンだからピントがずれて違和感を覚えるように仕向けたんだと思った。シャロンにとってはそのシーンで目の前にあること以外何も見えていないという印象を与えられた。

かすかにピントが合わなくなるシーンとして、学校に通うときのシーンが出てくるんだけど、これもまたシャロンの心情的に大きなストレスになっているからピントがずれているんだと思う。

 

 ピントはズレずとも音が聞こえなくなるシーンもあった。

いじめられて殴られた後告発を勧められるシーンと母親に「私を見るな!」と言われたシーン。どちらもシャロンにとって自分とは何か、誰かに理解されていないことを確認したシーンだと思う。自分を取り巻く環境を誰もわかってくれない。母親にすら自分は愛されていない。誰も自分を愛してくれない、そんなとき声は自ずと聞こえなくなってしまうほどの悲しみを背負う。

傍から見ればいじめっ子に殴られただけ。だけど、その相手は自分の親友で初恋の相手。でも、そんなこと誰もわかってくれないし、誰にも言えない。こみあげてくるのは笑いと涙。このシーン痛いほど共感できる。自分とはいったい何なのか。自暴自棄になる。

 

フアンが海で穿いていた海水パンツは虹色のLGBTQ柄だったし、ケヴィンの働いている店の棚の一角も同じく虹色だった。そういった細かいところにも何かしら意味があったのかもしれない。一度見ただけじゃ全部は追えていない気がするし、またみて確認したいとも思った。

ムーンライトの魅力とは

本作の原案はタレル・アルバン・マクレイニーの戯曲「In Moonlight Black Boys Look Blue(月の光の下で、美しいブルーに輝く)」で、長編2作目となるバリー・ジェンキンス監督によって脚本・映画化された。大人になって知り合った2人だが、偶然にも同じマイアミ出身で、同時期に同じ公営住宅から同じ小学校、中学校に通い、重度麻薬中毒者の母親に育てられるという共通の体験をしている。

この映画、すごく難しいと思ったのはなぜかと言えば、「私映画」っぽかったっから。ぼくはこういった体験をしていないし、辛さも等身大で理解することはできない。共感するのではなく、外側から眺めることしかできない。それを傑作と呼ぶにはそういったルーツがあって初めて言えることなのかな、と思ったりした。

そんな「私映画」をここまで普遍的なものに落とし込めたのはやはり賞レースに勝つだけのことはあると思うし、違和感や疎外感は多少感じていても最後まであっという間に感じるほど世界観にのめり込めたのはこの作品の素晴らしさだと思う。

 

なぜここまで『ムーンライト』が世界中を魅了しているのか―。それは人種、年齢、セクシュアリティを越えた普遍的な感情が描かれているからだ。本作の大きなテーマは“アイデンティティ”を探し求めるところに他ならない。タイトルである“ムーンライト(月光)”とは、暗闇の中で輝く光、自分が見せたくない光り輝くものを暗示している。誰もが一度は人生のどこかのタイミングで同じようにもがいたことがあるだろう。 どうにもならない日常、胸を締め付ける痛み、初恋のような切なさ、いつまでも心に残る後悔…
思いもよらぬ再会により、秘めた想いを抱え、本当の自分を見せられずに生きてきたシャロンの暗闇に光が差したとき、私たちの心は大きく揺さぶられ、深い感動と余韻に包まれる。 (HPより引用)

はたしてシャロンは救われたのか。この映画のエンディングで納得できない人も沢山いると思う。なぜこんな作品がアカデミー作品賞を取っているのか、と。でも、この作品は自分の鏡として見るべき作品なんだと思う。自分がLGBTQだったら感動できた?自分が黒人だったら感動できた?そういった話ではないよ多分。どうにもならない日常って皆抱えて生きているし、それをシャロンは代わりに僕らの前に姿を現してくれただけ。シャロンは架空の人物だけど、原体験が制作陣にあって、彼らのコピーみたいなもの。つまり制作陣のパーソナルな部分を見ているに過ぎない。この映画で救われた人は確実に存在する。日本じゃあれかもしれないけど、アメリカでは確実に日本よりも多くの人を救ったはず。マイノリティに共感することが出来ない人は弱い人だと思う。 常に多数派であり続けることは絶対に正しいとは言えない。共感できなかったからといって排他的になってこの作品を貶している人はその言動がすでに自らを語っているように思う。ぼく自身もまたマイノリティではあると思うのだけど、マイノリティを受け入れられる人になりたい、そう強く願っている。

追記:実際に監督が授賞式で以下のように述べていた。

 ジェンキンス監督はアカデミー賞脚色賞の受賞スピーチで「自分の人生を映す鏡がどこにもないと感じている人たち、僕たちは君たちを支えていく。」と高らかに宣言して感動を呼んだ。

 

ムーンライトってタイトルは沢山の捉え方があってみんなの見解を聴きたい限りなのだけど、僕なりの見解を。

ムーンライト(月光)はシャロンを照らす光。フアンの言う「月明かりで、お前はブルーに輝く」という言葉は、どんな人種であろうとも、月明かりの下ではそれぞれが持つ個性がより輝くという意味にも捉えられる。黒であるから青く輝く、これが白人であったらそうではない。それぞれの良さがあるのだから、他人に言われたから流されてはいけない。フアンが言った「自分の道は自分で決めろよ、周りに決めさせるな」という言葉はこの映画の内容だけに強く心に響いた。

 ケヴィンと口づけを交わしたあの夜、まさに月夜だった。初恋のあの日を忘れずにいつまでも胸にしまっているシャロンにとって月明かりはいつまでも特別なものであり、アイデンティティに組み込まれていく体験。直接的な意味合いもあり、本質的な意味合いもしっかり含まれているこのムーンライトというタイトル凄く秀逸だと思う。(最初、宇宙飛行士的な話なのかなとかタイトルだけで想像してしまったんだけど、全然違くてちょっと面白かった。)

 

 

個人的にシャロンの母の演技が素晴らしかった。麻薬中毒で豹変する母親は圧巻だし、青年期の涙を流すシーンも見入った。それを3日間でやり遂げたというのだから正直驚きを隠せない。幅のある演技をしてくれた母親役のナオミ・ハリスは最高だった。

青年期の涙を流すシーンはぼくは凄く感情移入してしまった。誰からも愛されていないと思ったシャロンに差した一筋の光。青年期は物語の終盤であるが故に過去の清算をするステップだ。シャロンの報われなさに悲しみは募る一方だが、その中でも少しでも希望があればシャロンにとっては良いのだ。人によって希望の大きさや質は違う。シャロンの希望がものすごくちっぽけなものであることを観客の何割かは許さないかもしれない。しかし、それこそ一種の幸せのあり方を均一化する差別ではないだろうか。マイノリティのあり方を認めることは弱さではないし、強さでもない。ただそこに在ることを認めるだけだ。イコール自分の生き方は他人に決められないし、決めさせてはいけないというフアンの言葉がここにつながるのだと思う。ヤクの売人になろうが、ゲイであろうが良い。他人に強要されるものは自らのアイデンティティではない、仮初めのものでしかないのだから。

 

フアンの言った「”オカマ”はゲイを最も不愉快にさせる言葉だ」ってのは印象的だった。フアンはゲイではないけれど、そういった思慮分別は持っている。アメリカが差別の多い国であるからこそ、一般層にしっかりと差別に対する理解が浸透している(皆が理解を示しているとは言えないが)。そういう社会がまだまだ日本とは違うと思った。日本でこの映画は流行らないかもしれない。沢山のLGBTQを見てきたアメリカに比べて一般層が全く目が肥えていない。

フアンを遠ざけるようにした幼少期の母親。貧困街、麻薬、偏見、とかそういったものに焦点を当てていくのかと思えば、そうではなかった。それはあくまでも一部に過ぎない。もっと掘り下げるのがふつうの題材を掘り下げないで、次のシーンに行く。 

LGBTQを題材にしているけれど、この本質はヒューマンドラマだし、シャロンだからこの物語であって、社会問題に切り込むために作られたものではない気がする。それでもたくさんの社会問題はちりばめられている。だけど、それって貧困層の当たり前であって、わざわざ盛り込んだものではない日常なんだと思う。そこに過剰反応するのはスクリーンを通してしか見ることが出来ない富裕層だし、当の本人たちは外野が何を言おうが日常は変わることがないし、前だけ向いて生きていくしかない。そんな環境なんだからシャロンはコミュニティでゲイであることは認められないし、誰も味方になってくれない。そんな残酷さがシャロンの周りには渦巻いていて、どうすることもできず、ただこうして外から見ることしかできない自分たちを客観視してどう思うか。そういう見方も多少なりともするべき映画だと思う。純愛のラブストーリーとして観れるか、社会問題を強く意識して観る必要を感じるか。それはこの映画が自らを映す鏡である以上人それぞれでしかない。

本当に難しい映画だと感じる。考えさせられるうえに、映画を通して観るぼくらは必ずどこかで「顔のない誰か」に指差されて皮肉られるのだから。それでも自分なりの見方を見つけてこの映画を味わってもらいたいとぼくは切に思った。観てよかったと思える作品であるかは明言できないけれど、観て損はないと思うそんな映画でした。(おしまい)

 

 

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