自分らしさを見失ったらー「モラトリアムスパイラル/Suck a Stew Dry」

自分らしさってなんだろうね?

 

モラトリアムスパイラル(通常盤)

モラトリアムスパイラル(通常盤)

 

 

 お久しぶりです。

Askで質問もらったり、自分で書きたい記事とかもたくさんあって下書きばかり増えていく一方なんですが、ちょっと生活に困窮してしまったので、リハビリがてら(オマエいつもリハビリしてんな)に、メンタルやられたときに聴きたくなるこのEPについてオススメがてらレビュー記事を書くことにする(途中から仕事モードの文体に)

 

Suck a Stew Dryという名前ではもう活動していないけど、新しい名前”THURSDAY'S YOUTH”という名前で再結成して活動してるから、彼らの現在を知りたい人は是非そっちも追っかけてほしい。

 

TSUTAYAに行ったとき、このアルバムが新作コーナーにあって、バンドは知らなかったけどタイトルが気になって借りたことがぼくのSuckとの出会いだった。

どうでもいい前置きに聞こえるかもしれないが、ぼくの聞き込んだこのEPはTSUTAYA版で、流通盤より2曲多く収録されていて「その2曲」も素晴らしくて紹介したいからこの話をさせてもらった。もし興味がある人は最寄りのTSUTAYAでこのEPを探してみてほしい。

 

 

閑話休題

モラトリアムスパイラルという表題について軽く補足的に説明しておく。

モラトリアムという言葉は高校で倫理を選択したことのある人なら知っているだろうが、そうじゃない人のためにWikiから今回の表題に深くかかわる意味を引用する。

モラトリアム(moratorium)

語源はラテン語の "mora"「遅延」、"morari"「遅延する」である。

心理社会的モラトリアム - 学生など社会に出て一人前の人間となる事を猶予されている状態を指す。心理学者エリク・H・エリクソンによって心理学に導入された概念で、本来は、大人になるために必要で、社会的にも認められた猶予期間を指す。日本では、小此木啓吾の『モラトリアム人間の時代』(1978年(昭和53年))等の影響で、社会的に認められた期間を徒過したにもかかわらず猶予を求める状態を指して否定的意味で用いられることが多い。ーWikipediaより

要約すると、大人になりきれない子どものままの状態の人のこと。そんな状況を打開できずにいる人たちのことを指しているのが「モラトリアムスパイラル」だ。

将来に対する漠然とした不安などを抱えている学生に多く見られる現象で、辛くなったら誰だって似たような状況に陥ってしまっても不思議ではない。疲れた時にこのEPはとても刺さる。総てが「別れ」をテーマにしている。過去の自分との別れ。だから聴きたくなる。それでは一緒に収録曲を見ていこう。

 

 

1.モラトリアムスパイラル

表題曲でありリード曲。イントロ無しで始まる歌詞が暗い。辛いときは自分を重ねて共感することになる。この曲を作ったシノヤマコウセイ(vo&g)曰く“仕掛けとしては明るくも暗くも取れるようにしている”とのこと。それを受け取るのはリスナーで、聴いた時点の立ち位置でどちらにも転がる可能性を秘めている曲というのはいつ聴いても心地良い曲になることが多いと思う。ぼくは疲れた時に聴くのがとても心に効く。

傷に気づかぬように
いつも自分に傷を増やしていく
だんだんそれにも飽きて
傷がない自分 忘れていた。
 
「あの夢は僕のじゃない」
「あの希望は僕のじゃない」
全てを手放した僕に何が残るだろう

 傷を負ったとき、それを大したことないと強がって更に大きな傷をつける。その傷に気付かないように違う傷を増やして気を逸らす。「下には下がいるから」「まだ大丈夫」そんな風に自分を追い込んでしまうことがよくある。いつか自分の本来あるべき姿を忘れてしまう。そうなったら危険信号。自分というものが分からなくなってしまう。

自分を卑下することを続けていると”自信”がなくなって、やがて”自身”がなくなってしまう。夢も希望も縋ることが出来なくなったとき、人は弱いと思う。夢を想うことはだれにも止められない不可侵領域であってほしい。

無理やりに感じさせられるドラマ
いつのまにか刷り込まれる理想
必要以上 まわりの目気にして笑いあっている
もしもいま魔法が使えるのなら
ただ普通の暮らしが出来たら
ありのままの自分のままで
君と笑っていたい 

 周りの目なんか気にせず生きれたら楽なのに。社会的な絶対正義があって、それに沿った行動・人格のみが崇拝されてそれ以外は淘汰・蔑視される。それは機械のように冷たくて背くことは勇気が必要で“自由とは”“普通とは”何か分からなくなる。自分らしさだけは淘汰されずに持ち続けていたい。そう思うことはモラトリアムから抜け出せていないことになるのかな。

大人になれるまでのモラトリアム
いつのまにかそこにあるリアル
誰にだって平等に進んでいく時間に
子供から抜け出す術も知らずに
大人になれないモラトリアムスパイラル
生きていく意味 分からなくても
「さあ、未来へ」 

 モラトリアム期間があったところで、いつまでもモラトリアムでいられるわけじゃなく、強制的に抜け出すことを余儀なくされる。待ってくれはしない社会と準備が出来ていない自分。何が残っているかなんか把握しきれていない自分なのに「さあ、未来へ」とホームから線路に突き出すように冷たく笑い囁く社会。ここで温かい笑っているように見える人はモラトリアムスパイラルには陥っていないんだろう。

夢が見えない 希望が見えない
けど見たくないつもりではない
明日が見えない 未来が見えない
けど見たくないつもりではない 

 夢も希望なんて見えやしないけど、見たくないわけじゃない。それを探しにいく一歩を踏み出すことが出来たら良いよね。思考と行動は常に伴っているわけではないけれど、常に一緒でありたいとは思っているし、そうあろうと頑張っている。ぼくは今もまだ抜け出せていないのかもしれないけど、頑張っていきたい。ぼくにとっては、そういう風に思える応援歌だ。

 

2.絶望と希望のシーソーゲーム

続く2曲目もテーマ性は1曲目「モラトリアムスパイラル」と同じ。この曲は愛という側面からうたっている。誰かに愛されたいけど、何もない自分は誰からも愛されない。愛されるかもしれない希望と愛されない絶望が交互にやってくるシーソーゲーム。ぼくの場合、この感情は悲しいようで悲しくない。悲しさとは別の俯瞰する自分がいて、何とも浮揚感が強い。

もっと傷が深ければ誰かと分かり合える気がするよ
ずっと前から知っていた
僕の中には何にもないことを

愛想だって振りまき
相槌だって板をつき
いつか描いた大人になれる日まで

 誰かに共感すれば、波風を立てなければ、“何にも持ち合わせていない”自分は大人になれるのかもしれない。自分が負った傷は果たして本当に傷だったのか。時々そんな不安に駆られる。自分が周りと同じ人間であるか確認したくなる。世界で一人ぼっちに感じる。

どこにもゆけない僕の脚が
僕の居場所を探している
未来に光はない
でも期待をしてしまう
絶望と希望のシーソーゲーム 

 居場所は探しているけど、自分の立場は変われない。変わらないんじゃない、変われない。自分はただ此処に居続けて絶望と希望が入れ替わるシーソーに座って待つだけ。

未来に光は無いのに期待してしまうから絶望が訪れる。しかしながら、どうしても期待することをやめられない。期待してもいいだろうか。どうかお願いだから、期待させてほしい。期待することを止めさせないでくれ。

 

3.こころは愛を探している

これも2曲目同様“愛”をテーマにしているわけだけど、上の2曲と違って、軽い感じの曲になっている。あまり気にしていないというか、なるようになるというか。自分で何かをしなければ…!と焦っているのに対して、“「そのままでいて」って言ってよ”と他人任せな感じがこのEPを1曲目から追体験の形式を取ると、一人称は少し成長したようにも思えるし、張りつめていた感情の落としどころが分かったような脱力感というか息抜きの感じがすごく伝わってくる。

自分に何かがあるわけじゃない、愛だってまだ探している途中。それでも夜が明けたら自分だって違う人になっている(かもしれない)。

そんな風に楽観的に思えたら良いよな。“さようなら”は自分への別れの言葉。“愛”は自分への愛、自己愛。今日のぼくはそのままでいいよ、そう明日のぼくには言ってほしい。

傷つけることに怯えるより傷つくことが嫌だから
誰彼構わずに痛みを撒いていた

辛くなると、誰も彼もが敵に見えてくる。傷つきたくないのに誰かを傷つけてしまう、その悪意に気付かない。自己矛盾を抱えているとき、人は弱くて脆い。自分がそうなっているときは気付くことが出来ないから、誰かがそうなっているときは痛みを受け入れてあげたいと日々思う。

さようならをプレゼントして
いつの日か再会の想像にふける
「もう一度始めようかな?」
気が向いたらでいいや
ああ いいや

光の中 くるまれて
夜が明ける 夜が明ける
夜が明けたら 僕も「違う人」に

 気が向いたらでいいよ、それくらいが丁度いいと思うから。万物は流転する。今日のぼくは明日居ない。気が向くとき、それは変化と呼ぶ。違う人になるには夜は長い。開けない夜は無いとはよく言うが、待つことは大変なことだと思う。それを気楽にすることができたら楽だと思う。自分を甘やかしていいんだよ、甘やかしても誰も怒らないから。

 

4.さらば素晴らしき日々

疾走感のあるサウンドにネガティブな歌詞。Suck a Stew Dryらしい曲だと思う。このEPは流通盤はこの曲で1枚のCDが終わりを告げる。エンドロール的な曲にふさわしく、疾走感のある前を向いて行かなくちゃと思える良い〆。今まで悩んでいたモラトリアム期も抜け出してしまえば良い思い出になるのかもしれない。そんな風に思えたら、とぼくは今日も前を向く。

恋は終わり夢は破れて
未来はバラバラに砕けて
だけどそれでも生きていくのさ
意味などないけれど
さらば素晴らしき日々
またここで会えるように
さらば素晴らしき日々
再会を願って手を振ろう

「 意味なんて無くてもいい、生きることそれ自体が意味だ。」ーなんてかっこつけられるほど大人じゃないけど、意味がなくたって生きていくしかないから今日も生きる。意味を求めていた今この日々をいつか思い出せるような日が来ればいい。

この歌が、このEPが、そういう自分を思い出すきっかけになる場所になる。「またここで会えるように」というのはこのEPを聴くことだ。ぼくはずっとこのEPを聴き続けると思う。

 

ここからはTSUTAYA限定盤には収録されている、本来は1stフルアルバムに収録されているSuckの代表曲。もしTSUTAYAで借りることが出来なかったらどうしたらいい?そんなの収録されているアルバムまで聴けばいい、そういうダイレクトマーケティング

 

ジブンセンキ

ジブンセンキ

 

 

5.世界に一人ぼっち

タイトル通り、世界に一人ぼっちな感覚を唄った曲。表題の「モラトリアムスパイラル」に共通するテーマの曲だから収録されたんだろう。この曲もこのEPを聴きたくなる時には刺さる曲になっている。

強くなりたい なれない 弱い心が
傷つくことをわざと探している
閉じ込めていた あの日の悲しい憂鬱が
生き返るのを感じている

誰も知らない 見えない 過去の記憶から
必要のない所を捨てて
朝目覚めたら 元通り いつもの日々で
良い人の顔に切り替える

認めたらもう楽になれる
行方など何処にもないから

強くなりたいけどなれなければ、傷つけばいい。そんな自傷行為をしたくなる。弱くなったら、弱いときの記憶は蘇ってくる。弱い僕らはこの行程を永遠に繰り返して進んでいくしかない。また明日には弱い自分は閉じ込めて愛想笑いのできる良い人の仮面を被る。認めたら楽になれるのは分かってる。でも、それでも、まだやれると思っていたい自分がいる限り難しいよな、強くなりたいんだもの。

何にもならないゴミばかり溢れる惨状に
置き去りになる君との名残
代わりなんていないことくらい分かっているから
忘れないように蓋をした 

叶うことない恋を見て
報われない言葉を見て
他人事にできるくらいには
大人に近づいている

 自分が創るものはゴミばかりだ。君にとっては代わりは幾らでもいるだろうけど、ぼくにとっては代わりはいない、だから嫌いになる前に蓋をして記憶に封をする。

身の丈をわきまえる事は大人になるということなのか。他人事にすること、無機質になること、そんな大人になりたいのか、そんな大人になってはいないか、いつでも何度もでも確認したい。

まだ何回迷ったって手を振ってみたって
SOSのサインだって送ってみたって
ああ みんな気づいていたってずっと知らないふりで
世界に一人ぼっちの気分だよ

いつだって「ひとり」を胸に抱いているから

僕らは一人ぼっちなんだ

 手を振ってSOSのサインを出しても、気付いているはずなのに無視される。世界は一人ではないけど「ひとり」が心の中にいる限り僕らは一人ぼっちなんだ。大人になるということは一人になるということかもしれない。だれも自分以外の当事者になってくれない。そう思ってしまうぼくもまた、大人になってしまったのかもしれない。

 

6.僕らの自分戦争

この曲がこのEPのどの曲もモラトリアムっぽさがある。流通盤が「さらば素晴らしき日々よ」で終わるのもいいんだけど、この曲の方がより前向きな感じと自己肯定が強くて、締めくくり方が素晴らしいと思う。このまとまりこそがぼくがこのTSUTAYA版を好きな理由だと思う。ポップとネガを織り交ぜることの巧みさが彼らの“自分らしさ”だと思う。

僕が身につけるモノは誰かが作った作りモノ
僕が思いつくコトも誰かが先にやったコト
ひねり出せる限りの オリジナリティを武器にして
見えない敵に向かい 何度もそれを振りかざした

僕らの自分戦争
いつまで続くの?
曖昧な僕を形作るものは一体何なんだ?
ああ いつの間に自分なんて どこにもいなくなって
僕は何も手にできないままで 誰になりたいんだろうなぁ

オリジナリティという言葉は大罪で、何を作っても凡才にとっては何もオリジナルではなくて、その敵は自分が生まれた時代を恨む以外何もできなくて途方にくれる。それは自分との戦争であって、自分を勝ち取るために自分同士が戦う。自分を決定づける何かは簡単に生まれなくて、自分らしさというものを失ってしまう。

僕が目指すべき道は
誰かが作った通り道
僕が立ち向かう壁も
誰かが先に越えた壁
精一杯見つけ出した
自分史上最高の答えも
「それって何番煎じなの?」って
知らないヒトに言われていた
じゃあ どうしよう 

 別に時代が違えど、って大きな枠組みで話さなくても身近なモノやヒトでも自分よりも先にある事柄はたくさんある。自分の中で一番の答えが世間では一番じゃないかもしれない。でも、自分が出したものであれば、それは自分なんだ。自分を知らない人が自分と同じ答えを導いていた、それは自分が誰かの模造品であることの証明ではない

ああ いつの間に自分なんて
どこにもいなくなって
でも僕は僕で僕のままで
誰になれるわけじゃないな

僕らの自分戦争 このまま続けよう
信じなきゃ!ってほどではないんだけど
いつか見つけられるといいなぁ
八時の電車で向かわなくちゃ  

 自分は自分である。この確信と自信の有無は人を大きく変える。自分探しに終わりを設ける必要はない、自分探しは並行して行えばいい。自分を信じることに焦りも恐怖も感じる必要がない、強制されることではないのだからゆっくりと歩けばいい。急ぐ必要はない。それこそが自信なんだと思う。今日もまたいつもと同じ電車に乗って生活は続く。

 

このEP、「自信」「別れ」「愛」が盛り込まれていて、似通った曲群に感じて飽きるかもしれないけど、好きな人にとっては大好物な1枚になっているはず。ぼくはこの感じが大好き。世界に一人ぼっちと言ってくれる人がいるから、ぼくは一人ぼっちじゃないと思える。誰かが同じ苦しみを共有してくれる必要性って絶対あると思うし、ぼくも誰かの支えになれたらいい、支えられずとも一つの指標になっていればうれしい。

モラトリアムを未だ脱却できていない僕は何度もこの場所に訪れ続けるだろうけど、そのたびにまた前を向いて頑張る自分が過去にも未来にも居て、それもまた自分らしさになっていくはずだ。疲れた時にまたここに来るだろう。その時までさようなら、お元気で。(おしまい)