刹那的な毎日の憧憬と自分哲学-「地方都市のメメント・モリ/amazarashi」

最新作は常に最高傑作。

 

地方都市のメメント・モリ

地方都市のメメント・モリ

 

 

 amazarashiが4thフルアルバムをリリースした。アルバムとしては「メッセージボトル(2017年3月)」以来、オリジナルアルバムとしては「虚無病(2016年10月)」以来と約1年ぶりの新譜。それまでにシングル「命にふさわしい(2017年2月)」「空に歌えば(2017年9月)」の2枚をリリースしているから、amazarashiをコンスタントに聴く体制としては途切れること無く続いていたように思える。

ぼく個人としては、アルバムカットやシングルカットされる曲の方が好みな曲が多くて、それらに続く歌を欲していて、オリジナルアルバムのリリースは本当に有難い。

定例のようなものなので、「このアルバムがすげー!だからみんなに聴いてほしい!」とかじゃなく、amazarashiは全て聴いてもらいたいから、もう思考停止で記事にするって決めてる。内容は特筆すべきことは無いかもしれないけど、一応このアルバムに対する個人的な感想とかレビューとか雑記とかそういうものを全曲ダラダラと書いていきたいと思う。

 

「地方都市のメメント・モリ」について 

地方都市とは言わずもがな秋田ひろむの生活拠点である青森のことを指しているはずだ。地方都市という代名詞を用いていることですべての都市ではない場所が対象になっているけど、秋田ひろむにとっては青森しかないだろうし、青森の彼の生活に根差しているものたちという認識は決して間違いではないはず。

メメント・モリ」という言葉に馴染みのない人もいるかもしれない。ラテン語で「死を忘れるな」みたいな意味の警句のこと。amazarashiの掲げるテーマ、それらに共通していることであると思うけど、ぼくはなんていうか(すごく嫌な言い方をするようだけど、)自分の掲げるテーマとかに関する哲学とかそういったものを調べて、良いのが見つかったら歌にいれちゃお!みたいな感覚を覚える。

初期の「爆弾の作り方」とかは外国語カッケー!みたいな覚えたての子供みたいに英語に変換しているように捉えることも出来るし、「アンチニヒリズム」を掲げているということで、いろんなニヒリズムに関連するものを調べては取り入れて、を繰り返しているようにも思う。前アルバム「虚無病」に関しては宮沢賢治の詩の影響を受けているようで、マイブームというか、そういったものがアルバムに色濃く反映されているようにも思える。それが結果としてアルバムのコンセプトになっていると考えたら、なんだかすごく軽薄なものにも思えてしまうときがあって、自分が時々嫌になる。

 ↓過去記事を移転させて再掲したので時間あればどうぞ。

ohda-amazarashi.hatenablog.jp

虚無病

虚無病

 

 

メメント・モリ」という言葉もいつ知ったのかわからないけど、wikiediaにこんな記載があって、

京都学派の哲学者として知られる田辺元は最晩年に「死の哲学(死の弁証法)」と呼ばれる哲学を構想した。その哲学の概略を示すために発表された論文が「メメント モリ」と題されている。田辺はこの論文の中で現代を「死の時代」と規定した。近代人が生きることの快楽と喜びを無反省に追求し続けた結果、生を豊かにするはずの科学技術が却って人間の生を脅かすという自己矛盾的事態を招来し、現代人をニヒリズムに追い込んだというのである。田辺はこの窮状を打破するために、メメント・モリの戒告(「死を忘れるな」)に立ち返るべきだと主張する  出典:wikipedia

 アルバム全体を通しても、「フィロソフィー」とかの歌詞を切り取っても今回はこの田辺元をイメージコンセプトにしたのではないだろうかと邪推してしまう。

 

そういったギスギスした話はこれくらいにして、普通にこのアルバムの各曲、制作過程や背景を考えなければ普通に好きなアルバムだったし、ぼくは肯定的でもあり否定的でもあるという全体をみたらイーブンな立場に落ち着くことになる気がする。 

「常に最高傑作を作ったと言えるような音楽活動をしている」的なことをRIPSLYMEのラジオにゲスト出演した竹原ピストルは言っていたけど、実際その通りだと思う。成長を一緒に楽しむ。amazarashiの成長とともに、失ったものについても愛しく思えるようになりたいなと、一人のファンとして思う。

 

 1.ワードプロセッサー 

「夕日信仰ヒガシズム」における「後期衝動」みたいなライブのリードトラック、オープニングアクトにピッタリな曲という印象。

 

夕日信仰ヒガシズム

夕日信仰ヒガシズム

 

  

アッパーチューンとしてamazarashiが最近POP化していること、メジャーで成功を収めているamazarashiの商業音楽にはこういった要素が付加されていること、っていう暗示も含めながらもamazarashiもとい秋田ひろむの今までの活動とこのアルバムのコンセプトとともに紹介するような自己紹介的なリードトラック。癖もなく、ポエトリーリーディングでも聴き易い抑揚のある曲調で、これを1番に持ってきたのはメジャータイアップが増えたamazarashiにとってベストな選択肢だったんじゃないだろうか。 

演算式にしゃべり続けたワードプロセッサ
破り捨てられたちっぽけな一行も
数年を経た今となっては
ついには岩のような絶望すらも穿つ

この曲ではこの一節が印象的だった。自己紹介のような歌詞だから、きっと秋田自身をワードプロセッサーに例えていて、その彼が否定したり、不採用だった、過去の言葉たちが逆に今彼自身の一部となっている。「アンチニヒリズム」をテーマに絶望の中から希望を見出す、と言ってた秋田がこの文章を歌詞に埋めることは、彼の自意識の中でしっかりと成長が見えるということ。おめでとう、そしてありがとう。

 

2.空洞空洞 

1曲目は万人受けするような曲を歌ったのに、2曲目になって、イントロから聴く人を別けるようなメロディーラインで驚いた。これが好きか嫌いかははっきり分かれるところで…って思ってたら歌詞とそれからのメロラインは軽めで聴き易くて、あれ?といい意味で拍子抜けした。こんなにも今と昔が対比できるような曲になるのか、と是非とは別に唸らされた。

「スピードと摩擦」みたいな曲になると思ってたら、そうじゃなかった。あの頃もタイアップがかかり始めたころだったな、と思い返すと、そうか、あれが最後だったのか、と思った。「スピードと摩擦」も韻とかラップとかそういうものをこれでもかと意識したような作為的な歌詞に加えて耳に馴染み辛いメロディーで、挑戦的だなと思っていたけれど、あの曲もまた今までのamazarashiらしさを喪わずにいた分岐の一つになるとは今日まで思わなかった。amazarashiも変化し続けているということがこの曲でも再確認させられた。ぼくはこの変化は嫌いじゃない。成長と呼べるかは置いといて、支持していたい。 

スピードと摩擦

スピードと摩擦

 

 

 

 3.フィロソフィー 

 詳しくは別記事参照で。

 

4.水槽 

ポエトリーリーディング2曲目。比喩表現を多用した秋田ひろむ節全開で、とても好き。秋田ひろむらしい歌詞で、何度も聴いていたい。これは酔狂なファンだけかもしれない。万人にオススメする曲ではないことはわかっている。だけど、ぼくはこの曲が好きだということを隠したくない。そういう曲。 

僕らは焦りで満たされた
水槽で生きてるから
僕らは恐れが充満した
喫煙室で暮らしてるから

 タイトルはこのフレーズからきている。閉鎖空間、それも周りにあるのはそういう鬱屈としたもの。焦り、恐れ、魚が飼育される水槽、嫌煙で追いやられている喫煙者たちが居る喫煙室。そんな比喩を使うくらいに息苦しく思う世界。 

誰かそのエアーポンプの電源を切ってくれないか
さもなくば僕がそうする

 自死を望む。エアーポンプ、それが生命線。そんな電源一つで終わってしまう簡単な生命。 

見てみろよ これが世界の全てだ
シャッター商店街 環状道路7号線  

 

退屈も悪くないって言葉は
退屈以外を知ってはじめて言えるんだ
そして、あのパチンコ店の看板
あれが世界の果てだ

 ポルノ映画やパチンコ店の看板とかシャッター商店街とか、秋田ひろむは世界の果ては大衆的な風俗に見出すことが多い。栄枯盛衰は現代において見て取れる風俗はそういうものと彼は考えるのだろう。

何事もそれ以外を知って初めてわかるものだというのは本当にその通りだと思う。なくして初めて気付くもの、それは良し悪しとはまた違うベクトルのもので、森羅万象すべてに言えることだと思う。

 

5.空に歌えば 

なんだろう、この曲、本当に好きになれなくて、でも嫌いではなくて、すべてが借り物の言葉のように聴こえる。タイアップで書き下ろした曲だからか、アッパーすぎる曲だからか、あまりにもamazarashiらしくない。ぼくはこのタイプの曲はあまり聴きたくないのかもしれない。曲目全体がこの曲みたいな感じになったらぼくはamazarashiを卒業する時なんだと思う。 

掴んだものはすぐにすり抜けた

信じたものは呆気なく過ぎ去った

それでも、それらが残していった、
この温みだけで、この人生は生きるに値する  

ここが一番好き。失ったものだけに目をやるのではなく、それがもたらしたものにも目を向けないといけなくて、そうしないと正当な評価とは言えない。「命にふさわしい」

に似たテーマ。 

6.ハルキオンザロード

 毎アルバムごとに必ずといっていいほど入るバラード調の固有名詞のある回想の歌。今回はハルキについての歌。回想をしたとき、それは時間が止まったまま、美しい憧憬のままで、地方都市のような田舎の空間が凄く似合ってていて、勝手に美化されてしまうようなそんな世界で、好きだけどズルいといつも思う。 

生きるという名前の列車に乗って

時間の後ろ姿、追い越した
相席をした彼の名は悲しみ
それを知ったのはもうずっと後
夜を散らかし 夏を散らかし
それを露骨に照す夜明け

 この比喩凄く素敵だと思った。美しい世界観に美しい歌詞。ハルキの自殺について思うこと。毎日泣いた、季節が過ぎてもまだ泣いた。自分の気持ちは散らかったままだった。それでも月日というものは残酷で、必ず夜明けが来る。彼を忘れてしまう日がやってくる。 

想像力で飛べるなら宇宙の果てじゃなく僕の中

見たい景色を掘り返す
墓暴きみたいに掘り返す
でかい夢ほど僕らを汚す
例えば作業服のペンキ跡
ロマンチストはいつも泥まみれ

 この部分も好き。でかい夢は良くも悪くも僕らを汚す。台無しにする。人生を変える。それはたとえどちらにせよ汚されたと言っていいものだ。泥は絶対的に汚いものではないし、汚れも悪だとは限らない。そういう意味での汚れなんだろう。

馬鹿笑いした夜が耳鳴りになって

眠れぬ夜に刃先を突き立て
僕らの間に川が横たわる
時間という名前の川が

あの時の楽しい思い出が今の自分にとっては嫌な思い出に代わる。それは時間のせいという他ない。青春は美化される。その時は何でもない瞬間だったというのに。

ハルキ、君は僕にとって腫瘍だ

手の施しようない未知への衝動
眩い光ほど誘われる虫
白日の下でどこへ行けばいい? 

ハルキの選択に憧れる。吸い込まれそうになるそんな存在。生き辛さ、それでも前を向かなくてはいけない、ということを歌ったamazarashiらしさが今作の中で一番出てる曲だと思う。

 

7.悲しみ一つも残さないで

「地方都市のメメント・モリ」というタイトルの「地方都市」の部分が一番色濃く出ている曲はこの歌だと思う。旅立ちの歌をamazarashiが歌うこと、それは今のamazarashiとの対比になるから、より印象深い曲になる。そう考えて聴くことが好き。

すごくエゴが強い曲で、昭和の歌謡曲のようなテンションで歌う望郷の歌、秋田ひろむの思うところの地方都市の憧憬はこの曲に集約される気がする。

 ああ大嫌い 悲しい事は
なのに僕らさよならばかり
どこにも行かないで
ずっとこの町で暮らして
歳をとって死ぬまで
笑って生きてたいよ

悲しみが嫌いといいつつ、さよならばかり言っている。自己矛盾を抱えながらも仕方がないことだと割り切って生きていく。出来ることなら、この町で暮らして死ぬまで笑って暮らしたい。切なる願いは歌にすること、それはごく自然な事。

夢は夢だとうそぶいた
叶えてこその夢だと誰かが言った
夢を終えた奴らに耳を貸すな
君の夢なら 君が夢見ろ

自分の理想を押し付け、人にこうするべきだと指図する。傍目から見たら目に余るのかもしれないけど、彼のそれは優しさであふれている。そういった押し付けや理想はたとえ実現できなくても口にすることを止めたくはない。止めろという人にもなりたくない。理想を口に出来なくなったら終わりだと常々思う。 

先は長いが終わりは早い
焦りはじめてからが始まりだ
その先の事は僕も知らない
言いたい事はこれで全部 

 言いたいことはこれで全部、旅立つ前に言いたいことを言いたいだけ言う。それって幸せというか、満たされているというか、前を向いているからこそできることだと思う。旅立ちの歌だから、夢や理想を掲げることが出来る。これから無残に散りゆくとしても、この気持ちを抱くことは悪い事じゃない。青森駅をそうやって秋田ひろむも出発したのだろうか。

 

8.バケモノ 

 嘘をつくと鼻が伸びるピノキオのように、嘘をつくと大きくなるバケモノの話。

生き辛さを抱えている主人公とバケモノ。生き辛さをバケモノとの対話のように、ただ事実を並べていくだけでこの主人公の感情をぼくらは追体験することになる。誰しも嘘をついているから、きっと共感できるはず。それが自殺志願者じゃなくても。

生き辛さをテーマに歌ってきたamazarashiらしい歌で、このアルバムの中で特に好きな曲の一つだ。 

嘘の塊みたいな僕を
綺麗さっぱり食べてくれないか
「生きるのが辛かった
苦しくてしょうがなかった

だけど辛いと思われるのが
一番辛いことだから」
ようやく本音叫んだら
化け物は見る間に萎んだ
でもね僕はまだ嘘を隠してる
自分さえ騙す僕の嘘を

嘘を食らってくれるならば、嘘を重ねた自分はもう嘘と同じ存在といっても過言ではないから、死に損なった自分も食べてくれないかと。

生きるのは苦しいし、辛い。けど、辛いとか同情されるのが一番つらい。生きながらの地獄になる。本音を叫べばバケモノは萎んだ。しかしながら、嘘をつき続けてきた代償として自分自身をも騙す嘘をつくようになってしまった。 

 ほんとは笑って生きたいくせに
嘘をついてる 嘘をついてる
理想、現実 そのずれを
埋めるための仮初の夢想なら
弱い僕らに嘘は必然か
今日も誰もが 嘘をついてる
そいつを食らえ なあ僕らは、
表裏一体の実像と影 

 本当は生きたい。自分の思うように生きたい。でもそれができないから死にたい。それも出来ないから嘘をついて自分も騙しながら生きていく。ってことはバケモノは自分自身だったということ。嘘を平気でつくことが出来る僕等は既にバケモノと呼ぶに等しいのかもしれないということ。

これらの歌詞をライトなメロディに乗せて歌うところもまた、今作で見せたamazarashiの変化の一つだと思う。ぼくはこういう組み合わせ大好きです。

 

9.リタ 

失恋ソング。有限無限なものの数々と、伴う感情の先。儚くも丁寧な歌詞でこういう曲を秋田ひろむには変わらず作り続けてもらいたい。泣くということ、笑うということ、それらのもつ大きな意味について、当たり前すぎることを再確認すること、それは時折必要になるものだと思う。

自分とばかり向き合って
人とは決して向き合わずに
言葉を選ばないのなら
傷つけて当たり前だ

過去とばかり向き合って
今とは決して向き合わずに
後ろ向きで歩いてりゃ
つまずいたって当たり前だ

ここ凄く好き。当たり前なんだけど、それを言語化したり、わざわざ形にすることの意味を秋田ひろむはわかっていると思う。忘れかけたものを忘れずにとどめておくことは素敵なことの一つだと確信している。

 

10.たられば 

「空に歌えば」のB面の曲。シングルが前述のとおり、あまり好きになれなかったからこの曲についても書く機会がなくてこのアルバムに収録されて書く機会を得られてうれしく思う。

たらればのタイトル通り、もしも…のifストーリーなわけで、でもそれって多分現実にその要素を持っていたとしてもそうなることはきっとなくて、夢物語に終わってしまうんだろうけど、こういう妄想に思いを馳せることは偶に無性にしたくなる。戯言ってわかってるけど言わせてくれよ、ってね。 

もしも僕が話し上手だったら 深夜ラジオのパーソナリティーになる
どこかの誰かの辛い一日を 笑顔で終わらせる人になる 

深夜ラジオ、ぼくもすごく好きなんだけど、秋田ひろむも聴くのだろうか。聴いてそうではあるけれど。誰かの一日を笑顔で終わらせるって表現素敵だと思う。そういうとらえ方をすると深夜ラジオもといラジオDJっていい仕事だなって。メディアに出演する人たちは皆同様に考えることが出来るけれど、深夜ラジオのような、実は流れてるくらいのテンションのものって自分が知らないところでも世界は続いている、みたいに自分という小さな存在が肯定されたような錯覚を覚えて、ぼくは心地がいいと感じることがあって、たぶんそれは一般的な感覚なんだろうなって思う。

amazarashi、シングルカップリング曲、名曲しかない説をぼくは唱えたいと思う。この曲も大好きで、シングル買って良かったと思える原動力になっていた。

 

11.命にふさわしい 

詳しくは別記事参照

ohda.hatenablog.jp

 

12.ぼくら対せかい 

最後をこの曲で締める。今までの曲のコンセプト・単語がちらほらと散見されて、amazarashiのこのアルバムをどういう意図で作ったかを明確にしてくれる曲。 

人生に意味を問うたら終わりだ

って価値観で虫を潰した
僕らにとって哲学とは居酒屋の便所に貼ってあるポエムだ
飲みすぎたときにだけ「頷けなくもないな」なんて頭よぎる代物

エッジが効きまくってる一節。フィロソフィーなんて歌ってるくせにこんなこと言っちゃうんだもんな。自己否定を繰り返してきたamazarashiらしくもある。 

何かを置き去りにしてしまった気がするんだよ

でもそれが何なのかはもう忘れた
もしくは何かに置き去りにされたのかもしれない
いつもせっかちで何かの使命みたいに
先を急ぐ彼女の名前はたしか「時間」
後ろ姿さえもう見えない その微笑さえ思い出せない

「ハルキオンザロード」のように概念を擬人化した一節。自分は置き去りにしたのか置き去りにされたのか。それはわからない。時間という彼女の微笑は遠い昔に見た限り。 

世界は変わると信じてた

僕らが変えると信じてた
離れ離れになったって
気持ちは変わらないと疑いもしなかった
裏切りも 欺きも いわれのない濡れ衣も
へつらいも 言い訳も
口約束も
マンガ喫茶も 満員電車も
見え透いたお世辞も 謝罪も 恥も罵倒も
本音を語れる仲間も かつての戦友も
かつて笑えなかった笑い話も
音楽も 息子、娘も 政権も
右も左も 過去、現在も 未来の話も

世界ってなんだろう。これらすべて一緒なんだって思える。違うように見えて実はあまり変わらないものたち。世界と呼ぶにはそれくらい集約されるものだから。

 

〆 

 全曲レビューってだらだらと果てしないもので間延びしてしまった。

今作は強弱のある曲が詰め込まれたような印象を受けた。地方都市の生活というものをテーマにしているからか、似たような楽曲群にならなかった。適当に作った、といったら語弊が生じるけど、薄っぺらい曲が少なくて全体として厚みがあるアルバムで平均値を取ったら過去最高傑作と言っても過言ではないのではないだろうか、好みは別として。メッセージソングと呼べる歌が加速度的に増えてきたこと、それが今回のamazarashiを語る上で外せないことだと思う。

メジャー露出が増えてきたamazarashiがこれからどうなっていくのかしっかりと目に焼き付けていきたい。次の作品も期待しています。長々と読んでいただきありがとうございました。(おしまい)