欠落じゃなく必要

何が足りないと思うかではなく、何が必要と思うか。

 

 
人生を自分の思い描いた通りに歩めてない人に捧ぐ、僕なりの前の向き方を話したいと思う。
 
生まれて他人と比較するようになって、自分が一般論的に他人より劣っていることきに気づいた。自分の主観でしかなくて僕の比較対象以外の人から見たら、自惚れんな!お前だって十分恵まれてるだろ!って言われるかもしれないんだけど、ぼくはぼくの取り巻く世界でしか生きられないのだから何を言われてもこの考えは曲げることができない。やっぱり人並の才能は持っていたいなあ、ってつくづく思う。天才になりたいとは思うけど、そこまでどうしても行きたいなんていう欲深い人間になるのもあきらめた。願えば願うほど難しくて無理だってはっきりわかってしまうことにつかれた。自分には何が足りなくて劣っているんだろう、周りに追いつきたくて、社会に同化したくてなにをどうすればいいんだろうって模索しているうちに精神は次第にほころびを見せていった。タリナイ、タリナイって言ったり思ったりしてる時点で十二分に欲深いんだろうなって。
妥協することを覚えたら負けだなんて思っていた時期もあったけど、妥協することの簡単さについ甘えたくなるんだよね、それを妥協せずに頑張った人が、今進学校に居る学生諸君や、社会で成功を収めている人たちなんだろうなあ。すごいなあって簡素で薄っぺらな感想しかでないんだけど。
 
考え方を変える、というか視点を変えるのがいいのかもしれないっておもった。何が足りないって考えるんじゃなくて何が必要かって考える。結局ないものについて考えるのだから一緒だと思うかもしれないけど、両者の間には大きな差異がある。
足りないのはマイナスであって、必要はプラス。もともとあって当たり前だと考えるのではなく、もともと備えていないものを身に着けていこうという上昇志向に変わる気がする。
足りないことってのは上に向かうのではなく、ボーダーに並ぶまでの回り道のような感覚でしかないから、モチベーションも低いと思うし、自己嫌悪に至る。必要と思うだけで自分の不出来とか不甲斐なさとかが幾分か紛れるはず。
資格勉強とかと一緒で、みんな同じスタートラインに立ってる感覚になれる。そう思えばぼくは救われるんだよね。自己暗示の域を超えないのかもしれないけど、それでも考え方はこっちで貫き通したい。自分を嫌いにならずにすむ方法があるなら、迷いなく選ぶべきだと思う。
考え方を変えるだけで、薄っぺらな感じの文だけど、自分の中でこの感覚が残っている内に書き起こしたくて雑記的な文章で書き起こしたから、文章はあべこべで申し訳ない。
欠落、欠乏、ではなく、必要、で考えていきたい。(おしまい)