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amazarashiに前を向いてもらいたくない

amazarashiというバンドが最近前向きな曲を紡ぎだしていることに対するアンチ。

 

 

夕日信仰ヒガシズム

夕日信仰ヒガシズム

 

 

心の支えとしてのバンドがamazarashiだった

秋田ひろむ中心としたロックバンド、amazarashiというバンドがある。活動してまだ5年弱と、規模は小さいが、歌詞の持つ世界観やメディア露出しない徹底した覆面要素などが相まって、クチコミ等で着々とファンを増やしているバンドだ。

かくいうぼくもこのバンドに心奪われた一人であり、自分のふがいなさを感じた過去や前を向きたくてもむけなかった弱さがamazarashiとぼくとの共通点だと勝手に感じて勝手に共感していた。

歌詞の持つ世界観に軽い厨二病感はあるのだけれど、それが心地よくて、すさんだ心に共感できるものが多分にある曲ばかりだ。音楽というものは好き嫌いがあって振り幅も大きいからこればかりは聞いてもらわないと好きか嫌いかはわからないけど、このバンドは聞けば聞くほど味が出るスルメのようなバンドなのかもしれないから、エージングのついでにでも聞き流してもらえるとこれ幸い。

希望という違和感が生じ始めた気がする

断罪、後悔、堕落、などマイノリティのための曲ばかりを出してきたamazarashi。最近の楽曲はどうにも今までとは違う違和感を感じてしまう。その違和感とはいったい何なのか。それはどうやら希望のようだった。後ろ向きで自分のダメさ加減について呆れつつも前を向けないamazarashiが前を向いてしまっている。心のよりどころが奪われた、そんな気分にさえなってしまった。

はっきり言ってこんなようではいつまでたって変わることはできないってのはわかっているんだけど、それでもいいと思ってしまう自分がいるから、こういった後ろ向きの傷の舐めあいみたいな歌が好きなんだろう。でも、amazarashiもとい秋田ひろむが前を向き始めたから一緒に前を向きましょう、なんていう虫のいい話を受け入れられるほどぼくたちは伊達にダメ人間をやってきていない。amazarashiは心の弱い人間を認めてくれるバンドだ。無論、そこに集まる人たちにはamazarashiへの一種の信仰心のようなものさえ芽生えていると思う。カルトのような新興宗教とまったく同じものが。

amazarashiは商業的でしかないのか

秋田ひろむがそういった層をターゲットにして、商業的に成功しようと思っていたのであれば、それはそれで醜いけど、カルトに取り込まれるような人たちを音楽にとりこめたのなら、秋田ひろむと二人三脚で前を向いていけるように仕向けるのは一種の社会奉仕であり、見方を変えれば正しいのかもしれない。

ただ、そこに商業的な思惑しか存在せず、秋田ひろむの意思がなかったのであれば僕らの共感の先は何もない空想であって、裏切りと同義であろう。ぼくもそこに憤慨するであろう人間の一人であるから、秋田ひろむが虚構という物語を作るのと同じ感覚で今までの楽曲を作り上げてきたのであれば、ぼくは金輪際amazarashiのファンをやめる。

しかしながら、ぼくは弱い人間でありまして、ファンをやめるといいつつもメディア露出しない秋田ひろむを相手にしてこんなことを言っているのだから、保険がかかっているようなものでしかなくて、後ろ盾があるからこんなことを言えているんだとも思う。良いように受け取ってしまうのがぼくであるから、きっと何か不都合があれば自分に納得できる理由づけをして結局沼から抜け出せずにいるのだろうけど。

 

後ろを向いていないと意味がない

閑話休題。amazarashiが前を向いてしまった。ぼくはamazarashiが後ろ向きな人間の代弁者であることに意味があって、そうでなければamazarashiというバンドに価値を見いだせない。ありふれた大衆バンドとなんら遜色なくなってしまう。

amazarashiには脱落者のための歌を歌っていてほしいんだ。脱落者が前を向いて世俗に同化する過程を歌にしてくれなんて決して思ったりしない。それでは、全く同じ境遇だった人間が自分だけ取り残して皆成功するような錯覚にすら陥ってしまう。それではだめだ。ぼくはまだ傷の舐めあいがしていたい。秋田ひろむは周囲がどうなっていこうと変わらず脱落者のための居場所を維持し続けていてほしい。前を向きたくても向くことができなかったから今の僕たちがある訳で、その前を向くことができるのには人より多大なる時間がかかるのはもちろんのこと、時間だって人それぞれだ。たまたまぼくよりもamazarashiが早かっただけで、自分が前向きになれるから前向きます、では公共の電波に流すamazarashiはいけないはずなんだ。ぼくたちのよりどころであった存在がぼくたちを見捨ててはダメな気がする。ぼくたちは馴れ合いをしなくてはならない。そこから個人が抜け出すのは別段特別なことではないし、むしろ当然のことだが、そのシンボルがいなくなるのはダメだろう。amazarashiにはこれからも昔のようにダメ人間のための応援歌だけ歌っていてはくれないだろうか。お願いします。おしまい。