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片想いは自分勝手 -ぼくの恋愛観について

片想いのみが何故肯定され美徳として扱われるのか、いつも不思議に思うのです。

こんな質問をいただきました。 

こんにちは。いつもブログ楽しく読ませてもらってます。恋愛についてどう考えてますか?恋愛観を教えてください。 

 

久しぶりのまともなぼくの考え方の記事になります。ある程度ブログで書きたいことを書くと、日常会話を抜けて記事にしたいことってなかなか無い。要するに、いつも誰かと同じような話をしているということだろう。

ぼくが最近色々な方と話す機会において、その方々のジャンルも違うのに何故かぼくの恋愛観を語ることになって熱く語ってしまったので、ここで整理して書き起こそうと思う。ちょうどaskfmにて質問が来て、そういえば話していたな自分ってのがきっかけというか引き金。ありがとうございました。

 ネガティブな自意識のため、文体がメチャクチャですがご容赦願います。

 

容姿に自信がないから告白をしない

ぼくは以前も話したかもしれないけど、自分の容姿に自信が無いです。モテ期というものは来たことないし、彼女に困らなかった時期がないというものが無いです。

基本的にぼくが恋愛において最重視するのは「受け身」という姿勢。簡単に言えば、告白される人の立場。「いやいや、ちょっと待って。お前ブサイクの癖になんで受け身なの?」って思う人もいるかもしれないけど、逆に能動的にアタックしたとして結果は変わらないしむしろ失敗が増えるだけじゃないですか?まぁ、このアンサーはちょっと不完全な要素を孕んでいるというか、あくまで誰でもいいみたいな退廃思想に聞こえてしまう可能性も無きにしも非ずなわけで、あまり使いたくないフレーズではあります。

告白しても成功しないから、ではなく、失敗がわかりきっているのに失敗したくない、というか、わざわざ自分から相手に恋愛対象として見られていないことを確認する作業になってしまっていることに嫌気がさしてしまう。そのため、告白をするとなるとぼくの片思いが暴走しているとしか形容しがたい突発的な告白になります。そもそもぼくは惚れ症、惚れっぽいので、告白し始めたら数撃ちゃ当たるみたいな思考に陥りがちって節もあるからってのもあるんですよね・・・。

実際には告白した経験が数回あるんですけど、それらはすべて周到に用意された相手の情報、特に自分への好意があったからで、自分のことを恋愛対象として見ていると完全に分かった時点でぼくは魚を逃がさないために告白でキャッチしたまで。ほら、恋愛において告白したくないっていうプライド高いお姫様みたいな女性っているじゃないですか?たったそれだけの障害でぼくの恋愛が消滅してしまうなんてあまりにも虚しいから、ぼくは自分がどんな汚れ役になろうと関係を築きに行くよ、待っててね。

っていうか、容姿に自信がないけど、告白したくなる、付き合いたいっていう風になるのは基本的にぼくのことを好きだと、ぼくが錯覚してしまうからで。

 

好きになってくれた人が好き

ぼくの女性のタイプは結論から言うと、「僕のことを好いてくれる女性」です。こんなぼくを好きになってくれる女性ってことは、ぼくの容姿ではなく中身を好きになってくれているという確信があります。ぼくの外見はひどいもので、これで好きになる人がいるというならばそれは奇跡というか、ぼくにとっては願ったりかなったりな女性でありまして、現実にはそういうことはないのでもはや排斥しても構わない可能性なのです。

言い方を変えれば、こんなぼくを好きになるような女性ってのは、優しさ、慈愛の塊のような存在なのです。なので言い換えれば「(ぼくなんかを好きになってくれる)優しい女性」がタイプです。ぼくは不細工をいじられ続けた過去が学生時代にあるので、もう自意識は壊滅的で自分をネガティブに評価してしまうし、特に外見の話になると誰の言葉であっても肯定的な意見は受け入れることが出来ないくらいに拗らせちゃってるから、ぼくなんか、ぼくなんか、って言葉が必ず付いてくる。

 

好きになってくれた人ならだれでもいいのか

じゃあどんな女性でもいいの?って必ず聞かれるんだけど、これも言葉の綾的なものであって、しっかりとひも解いていけば「誰でもいい」という答えになります。なぜなら、ぼくのことを好きになるということは、ぼくと友達だったり何らかの関係を持っているわけで、一目惚れはイレギュラーなのでカウントしません。まず、ぼくが友達になって恋愛状態に発展する可能性があるということはそれなりに友達としておつきあいを重ねています。その場合にぼくが選ぶ女性は「ぼくとの対話に互いに苦痛を感じることがなく楽しくお話しできる」ことや「ぼくがその女性に対して嫌悪感を抱いていない」ことなどがあげられる。基本的に人類皆友達という平和主義の博愛主義の僕なので、ぼくはよほどのことがなければ毛嫌いはしません。ぼくが毛嫌いする、誰に対しても当てはまることは「清潔感がないこと」、これに限ります。やはり不潔な人と一緒には居たくないです。ぼくは潔癖症ではありませんし、むしろガサツな方だと自覚してますが、たとえ潔癖症じゃないとしても不潔な人とは一緒にいたいとは自ら進んで思う人っていませんよね。そういうことです。これを除けば、ぼくと仲良くしてくれる人であればだれとでも付き合えます。そういう生き方を見つけました。

 

受け身は悪だと直感的に判断される

ぼくのことを「お話の面白い知識人」として、おしゃべりするだけの食事会に誘ってくれる方が結構いるんですけど、そういう人に「なんでそんなに面白いのに彼女ができないの?」って、アスペなんじゃないかコイツって思うような質問を当てられ、ぼくが上記のような理由を説明すると「それじゃあ恋人できないよ」と一蹴されます。なんでも、ぼくの考え方だと「合理的すぎて人間味がない」等の提言を受けます。では、恋愛のあるべき姿とはいったい何なのか?ぼくのことを否定するあなたの意見はいったいどういった素晴らしい考えをお持ちなのかご教授願いたいのですが。皆、「好きになった人が好き」とか「好きに法則なんてない」とかのたまうのです。ふざけんな、ぶちのめすぞ!!って言いたくなる気持ちを抑えぼくはみなさんに問いたい、よく考えてほしいのです。

片思いで好きになる、ということが美徳。本来の人間のあるべき恋愛体系であるならば、あなたの気持ちを汲んでくれて告白を受領した相手の方はいったいどういった面持ちだと考えているのでしょうか。告白した相手は先ほど僕が説明したような受け身の姿勢であったと思いませんか。告白された人がちょうど自分に告白したい人だったっていうベッタベタの女性向け漫画、否、少女向け漫画のような関係であれば問題ありませんが現実甘くありません。自分の告白が了承されたことに舞い上がってしまい、冷静に考えることを放棄しているようですが、一度素面に戻って考え直してください。

あなたが告白したのはなぜですか?好きな気持ちを伝えて必勝するつもりだったんですか?成功することを確信しているのであれば、ぼくの告白する状況と何も変わりません。成功することを確信していないのであれば、相手が自分のことを実は心のどこかで好きだと思ってくれている可能性にかけたんですか?

大方違いますよね。言葉に起こすと残酷な気もしますが、それはあなたの告白を受けてその瞬間に今までの関係性や容姿などの主観的評価を総合的に見てあなたと付き合ってもいいか判断しているわけです。それって、よく考えてみるとぼくの状況に等しくありませんか?っていうか、等しいんですよ。自分の過去の恋愛体験を振り返ってみてください。恋愛において受け身が存在しない例なんて極稀です。仮に自分が告白される側だったとしても、あなたが受け身になっているわけですし、どちらに転んでも受け身という状況は必然的に発生します。それなのにぼくを否定した上に、否定した理由がぼんやりとしているようじゃ笑止千万です。矛盾をはらんでいますからね。もっと頭回転させて反論できるようになってから出直してきてください、って言いたくなります。まぁ偏にぼくの恋愛観を否定されたからぼくが怒っているだけなんですが・・・。

 

自分磨きは人脈作りと話術磨き

ただし、受け身だからってぼくは何もしていないわけではありません。最近流行りの企業努力みたいなものに近しいことをしっかりやっています。まぁこの流れで大体わかるとは思うんですけども、それはたくさんの仲良い異性の友人を作るということ。食事に誘われたらぼくは行きます。ここで誘ってくれた女性がタイプの女性かどうかって考え方はないです。わかりやすく言うなら、かなりストライクゾーンが広いうえに、ぼくと食事をしてくれる、同じテーブルを囲んでくれるってことで加点されてもうストライクじゃない部分がなくなってしまうという感じです。要するにぼくのことを友達の一人として誘ってくれるだけでもう好印象ですし、その時点で付き合える条件をほぼ満たしてることが多いです。

あとは、その人がぼくのことを好きになってくれるように仕向けるだけです。ぼくはその武器として話術を使います。端的にいえば、面白いことを言ったり、相手に話を聞かせるような構成と話し方、ある時は相手の愚痴などを聞く包容力、など話す力と聞く力を両方磨いています。同窓生とかだと思い出話に花が咲くので特に何を考える必要もなく面白い話はポンポン出てきますし、相槌をうちあうだけで時間はあっという間に過ぎ去っていく位に話すことは尽きませんので考える必要がありませんが、そうではないビジネス的な付き合いな方だと余計にこういったトークスキルは必要になってくると思います。自分はこれらに加えて、雑学の引出しを多く持っているつもりです。一つの話が展開されるとそれに付随する出来事や関連性のある出来事に話を橋渡しできるような雑学の幅を利かせていますし、常に増やし続けるよう情報収集など努力を怠っていません。ぼくが前述の話が面白い知識人と周りから呼ばれるのはこういった自分のアプローチが実を結んだからだと思います。女性が少しでも美しくなろうと食生活から化粧から服装までいろいろと自分磨きにまい進するように、ぼくも自分の武器になるであろう部分を鍛えています。話が面白いとなれば、また呼んでもらえることに繋がります。それはサシでの飲みだけでなく大人数での飲み会でも盛り上げ役として誘われることにもつながります。そうやって異性の友人から好印象を持ってもらうことで、ぼくは自分への恋愛につながるための餌をまいているようなものだととらえています。あとは、それに誰かが食いついてくれるの待つだけという地引網のようなものです。

 

疑心暗鬼になったトラウマ

ぼくが今まで一番傷ついた言葉は仲の良い友人だと思っていた女性がtwitterの裏垢でぼくのことを指して「隣で歩く人くらい選ばせてよ」というツイートをしていたことです。すごく仲の良い人だと思ってたばっかりに、そのツイートが彼女のフォロワーにお気に入りされ通知が来て、それが目に入った瞬間に楽しんでいた自分が急に恥ずかしくなり、さらにはその女性に誘ったり誘われたりしていたことも相手の女性に無理をさせていたのだなって申し訳なさでいっぱいになりました。傷つくと同時に相手も傷つかせていたのだと猛省し、自分の不細工さを少し軽んじていたことを何度も反芻して帰路についたのを今でも鮮明に覚えています。

このことから、今までは自分を誘ってくれるということは自分を受け入れてくれていことだと短絡的に考えていたのですが、考えを改めなければならないと実感させられ、ぼくの唯一機械的に捌ける恋愛プロセスだったものも今では慎重に行わなければならないことの一つになりました。

 

気を付けなければならないこと

女性の方々には、たとえ相手の男性について心の中で悪く思っていたとしても口に出すなり、文字に起こすなり、何かしら形にするということは控えてもらいたいです。昨今の「女子会」というものは恋愛と生理の話で専らとよく聞きますので難しい話かとは思いますが、できる限り控えてもらえると双方快く円満に関係を保つことが出来ると思います。ぼくは先ほどの言葉がいつまで経っても頭から離れません。一緒にいる女性がきっともしかしたらこう思っているのかもと疑心暗鬼になってしまいます。それ自体、相手がそう思ってるかどうかは別として失礼な態度・心構えだと思うので気を付けなければならないことだと自覚していますが、やはりトラウマというものは中々拭えないもので、十字架としてぼくに重く圧し掛かっているのが現状です。

楽しそうにお話をするのと、一緒に歩きたくないデートみたいに思われたくないという気持ちは同居しますから、男性の方は笑顔を見せてくれたからといって肩の力を抜くのではなく、本当にこの人は自分に気を許しているのかどうか判断を見誤らないようにした方がいいと思います。そのためにぼくは相手に話を引き出す聞く力を伸ばす必要性を感じます。相手が言いづらいことを言える環境作りはやはり信用度に直結するものです。そういった感情の機微を読み取ることにぼくは会話中全精力を傾けています。トークスキルを磨くということは、お話にも余裕ができてきてほかのことにも気を配れるようになるということです。余裕ができてやってはいけないことは相槌と空笑いです。ほかの何かを探っているという、心ここに非ずがバレます。気をつけてください。

 

 恋愛関係に発展した場合

今まで、ぼくが如何に恋愛で失敗してきて無駄な思考回路を展開してきたかを述べてきたけど、次は恋愛に発展した場合の話をさせてもらう。ぼくは今まで告白ないし好きになってくれた人としか付き合ったことがないです。それでどういった弊害が発生してきたか?結論としては、何も発生していません。何が合う・合わないといったことは基本的に僕の恋愛において存在せず、ただぼくが相手に全力で合わせていくのみ。逆に相手が合わせてくれる場合もあって、その時は何か裏があるんじゃないかとあ僕なんかの為に申し訳ないなって気持ちを抱えつつお言葉に甘えさせていただきました。告白された時点では良い友達の関係なので、恋愛関係になったところでぼくの態度はさほど変わりません。しかし、相手が自分のことを”友達として”ではなく”恋人として”好きだということがわかるとすべての事象に魔法のスパイスがかかったの如く特別に見えるようになってきます。単純な人間だなと思うかもしれませんが、また先ほどと同じように逆転の発想をしていただけると自明でしょう。自分を好きになってもらうチャンスを得るために告白することだってあります。付き合っていくうちに好きになるという例の奴です。ぼくはそれなんで一般論からなんら外れているわけではありません、よね?

付き合ううえで、相手を全許容するというのは使命や義務から生じているものではないので、ぼくはメンヘラみたいな女性の「重い愛」も「思いあい」に変えれたらいいなと(座布団一枚)。というか重い愛そのものをぼくが嫌っていないということも要因の一つかな。とりあえず女性に愛されたいという欲求が僕の恋愛原理なので、メンヘラ的な愛情もぼくとしては恍惚ものなんですよね。 

告白されてからぼくは加速度的に彼女を愛していきますから、決して自分から別れを告げることはありません。これは公約とか確約とかそういった宣言の話ではなく、ぼくの性質上の話です。別れたいと思われたら、その時はもう相手の気持ちも固まっているものだと思うので、無理には引き止めません。その時点でぼくたちの恋愛はとっくに終了していたのだと今更ながらに自覚させられるだけです。ぼくはずるい人間なので別れた後も交流を継続したいと思います。ともだちとして再出発できるというきれいごとを信じてるタチです。未練タラタラなので、出戻りでまたぼくの元に返ってこないかなと希望的観測を立てているようなものですが・・・。

こんなぼくって、すごく優良物件だと思うんです。顔を除けばですけどね、顔を除けば。

 

だらだらと7000文字くらいお話しさせてもらいました。ぼくは外見という武器がポンコツで使い物にならないので破棄して、中身ひいては話す力で勝負する特化型の恋愛戦術を採っています。合理的という言葉は進んで得たものではないためあまり使いたくありませんが、自分が出合いたい女性とは今のやり方で出会える式が完成しているので、あとは恋愛ができるようになるだけです。途中でぼくからの恋愛指南みたいなものを挟んでしまいました。脱線しすぎですねごめんなさい。

過去の彼女たちは僕のことを好きになって、しばらくしてほかの人を好きになって別れを告げてくるといった伝統を築いてきたので、外見に負けないような圧倒的なトークスキルを身に着けようと日々頑張りたいと思います。質問してくれた方ありがとうございました。おかげで楽しく持論を展開することが出来ました。また何かぼくに聞きたいことがあればAskで聞いてくださいね、よろしくお願いします。反論や同意など意見がありましたらコメント、ツイッター、Askなど活用していただければ幸いです。(おしまい)

 

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